研究員ブログ

研究員の休日

先日、夏期休暇を利用してサッカー日本代表の試合(対カメルーン戦)を大分で観戦しました。

九州石油ドーム①

※試合会場の九州石油ドーム(通称:大分ビッグアイ)

九州石油ドーム②

※試合の様子(このフリーキックの直後、田中マルクス闘莉王選手のゴールが決まりました)

試合内容については、新聞などのマスコミで報道されていますので割愛するとして、今回は試合会場となった九州石油ドーム(通称は大分ビッグアイ)をホームグランドにもつJリーグチーム「大分トリニータ」が行っている「地域貢献」の取り組みについてご紹介したいと思います。

Jリーグでは「Jリーグ百年構想」を基本軸として「地域貢献」を目的にしたさまざまな取り組みを各チームごとに行っていますが、これは欧米のプロサッカーチームを模範として、おらが町の市民クラブとしてのプロサッカークラブというスタイルを目標としていることに由来しています。

大分トリニータでは、このJリーグの基本理念をもとにさまざまな「地域貢献活動」を実施していますが、その中でスポーツを通じての「介護予防事業」をやっています。その事業の中身ですが、以下のようなものです。

1.歯科検診&体力測定・体操(ストレッチ)教室

公民館などでチームのメディカルスタッフが考案した健康づくり教室を実施。あわせて歯科検診と体力測定なども行います。

2.ウォーキング教室

足腰強化を図るためのウォーキング教室。実際にサッカーグランドにも入れ、チームとサッカーについて触れることができます。

3.多世代交流サッカー教室

スクール生や孫と一緒にサッカーボールを蹴る教室で、1・2の発展的事業の位置づけ。足腰強化、多世代交流を図りつつ、地域づくり活動に寄与することを目的にしています。

このような「介護予防事業」について、もう少し調査してみたところ、実はJリーグのJ1、J2のほぼすべてのクラブが実施しており、「温泉をつかった健康教室(ザスパ草津)」や「阿波踊りによる健康教室(ヴォルテス徳島)」など、地域の文化に根差したユニークな事業を実施しているところもあります。

ただ、大分トリニータのようにシニア世代の単なる介護予防や健康増進といったところに止まらず、そのことを通して上記3のような「多世代交流を図る」といった取り組みにまで視野に入れて介護予防事業を実施しているチームはあまり多くありません。

大分トリニータは、サッカー不毛の地と言われてきた大分県で、観客がたったの3人から出発し、数年の間に平均観客動員数2万人を超えるというリーグでも屈指の観客動員数を誇るチームへと発展してきた、いわゆる『地域づくり活動』の中から生まれたプロサッカーチームといわれており、その一端がこの介護予防事業の中でうかがえるのかもしれません。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

フードマイレージ

先日、新聞を見ていると、地産地消の関連記事に「フードマイレージ」なる言葉をはじめて目にした。

もともとはイギリスの消費者運動家ティム・ラング氏が提唱したものらしく、基本的には「食料品は地産地消がのぞましい」という考え方にもとづいたものである。

この言葉、直訳すると「food=食べ物」「mileage=輸送距離」ということだが、農林水産省の関連HPで調べてみたところ、このフードマイレージは「輸入食料の量×輸入にかかる移動距離」という計算式で算出されるようで、フードマイレージが大きければ大きいほど食糧自給率などが低く、食べ物に対して「贅」をつくしているといえそうだ。

また、そこには各国のフードマイレージの2001年のデータが紹介されているのだが、それを見てみると「日本のフードマイレージは、2位の韓国の約3倍の差をつけるほどのぶっちぎりの世界一である」ことが載っていた。

この調査結果は日本の食料自給率が低い(約40%)のが原因だと思われるが、この値が高いということはそれだけ膨大な食料を日本に運ぶためのエネルギーを消費しているともいえ、環境に負荷をかけているともいえるようだ。

「地産地消」の魅力には、新鮮、安全、自国の産業保護などがあるが、「環境に優しい」ということもその一つの魅力なのだろう。

消費者の側として、スーパーなどで食料品を購入する際に、どうしても価格だけを気にしてしまいがちだが、ちょっと立ち止まって「地産地消」についても意識してみようと思った次第である。

通常のマイレージはためるとさまざまなサービスの恩恵を受けることが出来るが、このマイレージはなるべくためないようにしたいものだ。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

来住廃寺まつり

8月19日、松山市久米地区において「来住廃寺まつり」が行われました。この来住廃寺まつりは、地域の歴史に親しむとともに、地域に誇りをもてるようにし、また、さらなる地域の発展をめざして、1995年に久米公民館を中心として始められたものです。古代の衣装の復元や雅楽久米舞、火起しなど来住廃寺にゆかりの行事を取り入れています。また、久米地区の小・中学生による水軍太鼓の演奏や久米芸能連による民謡・盆踊り、地元の各種団体によるバザーなどがあり、毎年2,000人以上が集うイベントです。

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開会行事の様子

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久米芸能連の「雅楽久米舞」

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松明点火のための種火を熾す久米中学生

会場となった来住廃寺跡は、法隆寺式伽藍配置を持つ白鳳期の古代寺院跡で、昭和54年に国の史跡指定を受けています。これまでの調査によって、南側に八脚門をもち、内部の建物を2重の柱列によって取り囲んだ、一辺約100メートルの『回廊状遺構』と呼ばれる施設が廃絶した後(7世紀後半以降)に建立された古代寺院であることが分かっているようです。現在、調査によって確認されている主な遺構には、一辺が約9.75mをはかる塔の基壇および、その上面に残された柱の礎石、大型の石製露盤、僧坊と考えられる掘立柱建物跡、講堂に伴うと考えられる玉石組雨落溝などがあり、現在も継続して調査が続いているようです。

えひめ地域政策研究センターの平成19年度アシスト支援事業の助成団体である「久米はいじの会」が出店していることもあり、夕涼みがてら会場を覗いてみました。久米はいじの会は、このまつりのプレイベントしして8月4日に「シタールの演奏の夕べ」を開催しており、この日も会員総出で、地酒「久米舞」のオンザロックや久米の赤米を使ったポン菓子、オリジナルポストカードなど地域おこしとなる品々を販売していました。

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久米はいじの会の出店

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地酒「久米舞」の美味しい飲み方を研究中

久米はいじの会は、国史跡久米官衛遺跡(来住廃寺)に興味を持ち、遺跡を通して久米地区を活性化しようと集まった有志グループです。まだまだ少人数ですが、地域資源を最大限に活用し、自分達も楽しみながら活動されています。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 松本 宏)

山鳥坂の夜神楽(大洲市肱川町岩谷地区)

8月13日(月)に大洲市肱川町岩谷(いわや)地区「山鳥坂の夜神楽」が開催されました。当地区の鎮縄神楽(しめかぐら)は愛媛県の無形文化財で、300年以上の歴史を持ち、平成10年にはロンドンで公演されたそうです。

この鎮縄神楽で地域を活性化しようと、山鳥坂夜神楽実行委員会(冨永清光委員長)が中心となって地元の自治会、鎮縄神楽保存会の皆さんが毎年8月13日に夜神楽を開催され、今年で十周年になります。

夜神楽会場風景(1) 夜神楽看板

 場所は元岩谷小学校で、夕方6時から自治会まつり、続いて夜神楽公演と続き、この日ばかりは約300人(地区人口の何倍?)の見物客がやって来て、山郷も賑わっていました。

今年のメインは巨大な八岐大蛇が 山から会場に舞い降りるアトラクションです。参加された方も口々にスゴイという声があがり、効果満点でした。

神楽のストーリーは、神代の昔、天照大神が弟 の素盞嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を憤って天の岩屋へ籠もられたので、高天ヶ原に八百万の神々を集めて協議をして、岩谷の前で鈴や笛、庭火をたき、舞 を舞うお神楽をはじめたという神話が起源になっています。神楽はなんと言っても最後の「大蛇退治の舞」で本当に最高でした。

巨大な大蛇登場 大盛況の夜神楽

神楽を見るのは本当に久しぶりでしたが、無形文化財になるだけあり、なかなか面白く拝見しました。特に地元の人や帰郷した人達が神楽を通して交流し、 お酒を飲んだり歓談されてた様子は、さながら縁日や大祭のようで、なかなかいい感じでした。

お盆は、正月と並び国民的な民俗行事で、広辞苑によると帰省は 「故郷に帰って父母の安否を問うこと」だそうです。神楽を見ながら、久しぶりに親戚や近所の方、友人と顔を合わせてビールを片手に話に花を咲かせ、祖先の 墓前で手を合わせ、供養と感謝の気持ちを新たにする。「癒やし」の側面があり、お盆の行事でもある「夜神楽」は次世代にも受け継ぎたい風景です。

ただ、山鳥坂ダムができると会場である元岩谷小学校も埋没するようで、この夜神楽など地域のコミニュティの拠り所をどうするかなど、課題は多いようです。冨永委員長はじめ岩谷地区の皆さん、ご苦労様でした。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 清水和繁)

夜の松山城

現在、当センターに派遣されている関係で松山市に住んでいることもあり、せっかく松山市に住んでいるのだから、なるべく松山の観光地やイベントについては見ておこうと思い、ライトアップされた夜の松山城を散歩してみることにした。

筆者が中学生のときに、一度だけだが夜の松山城には行ったことがあり、そのときは門のところまでしか入ることができなかった記憶があったのだが、先日訪れた際には門はおろか天守閣の手前の本丸広場まで入ることができ、夜の松山市街地を一望できた(現在は夜9時までは入場が出来るが、天守閣は午後5時まで入場可)。

松山城

※松山城のライトアップ

松山城からの夜景

※松山城からの松山市街地の夜景

さて、筆者の出向元である宇和島市にも、現存12天守のひとつ宇和島城があるのだが、宇和島城は夏季のみ夕方の6時30分まで入場することができる(天守閣は午後4時30分まで入場可)が、夜は城山公園にも入ることはできないため、残念ながらライトアップされた宇和島城の天守閣を間近に見ることはできない。

ほかの現存12天守となっているお城についても簡単に調べてみたところ、天守内への夜間入場を実施しているところはないようであるが、松山城のように公園は夜間まで入場できるところや、公園については24時間入場可能なところもある(弘前城、高知城、丸亀城など)一方で、宇和島城のように公園も夜間の入場不可のところもある(姫路城など)。

天守や公園を含め、夜間の入場を許可していないのは、城内施設に展示物を設置しているところが多く、文化財を夜に一般公開するのには大変勇気がいることであり、公園を含めて防火、防犯などのさまざまな管理責任を果たしにくいという、「文化財保護」の面が最大の理由だと思われる。

ただ、文化財保護行政について何もしらない素人の無責任な発想で申し訳ないが、せめて年に1度くらいはお城の天守から「夜の町並み」を眺めることができてもいいのではないかなあと、夜の松山城公園を歩きながらふと思った次第である。

※追記(9/19)
松山城では「月見の宴」という夜の天守に入れるイベントがあります。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)