研究員ブログ

第19回全国農村アメニティ・シンポジウム

10月18日・19日の両日、内子町において第19回全国農村アメニティ・シンポジウムという大会が開催(主催:全国農村アメニティ協議会)されました。

内子座

※会場の内子座

受付の様子

※受付の様子

この大会は、農村アメニティの本質を明らかにするとともに、農村アメニティの水準をいっそう高めていくことを目的にして、お互いの経験や智恵を交流していくために開催されており、今回は内子町石畳地区が全国美の里づくりコンクールで最優秀賞である農林水産大臣賞を受賞したために、内子町で開催されることになりました。

10月18日(木)は、内子座において東京農業大学教授の進士五十八先生の講演ののち、進士先生をコーディネーターに4人のパネリストによるシンポジウムが開催され、翌日の19日(金)には内子町石畳地区の視察を行いました。

会場の様子

※会場の様子

この研究員ブログでは、初日の様子のうち、進士先生の講演会をお知らせいたします。

講演会では、まず大会名にもつかわれている「アメニティ」の用語の説明がありました。 たいていは快適空間などと訳されていること多いそうですが、先生によると「歴史や自然、文化を守り、大切にする」ことがアメニティの根本だということだそうで、日本でこの言葉を最初に使ったのは石原東京都知事(当時は環境庁長官)だそうです。

最初に使われた当時は、開発や活力を活発化させることにやっきになっていた時代で、風景を守るなんていうことはおろそか、意識の上ではナンセンスという時代でしたが、現在は「風景を守るということも重要である」と社会は認識するようになって来ました。

この価値観の変容については、「かつてここは取り壊して駐車場にしたほうがよいという住民の多数派だったのが、今では観光名所として「残さなければならない」と大多数の住民が感じている」といった会場となった内子座についても事例として述べられていました。

ただ、先生がいわれるのは、車の両輪のように両方共に大事で片方だけがということではないということで、それは日本人の心性というものに根付いている考え方であると述べられ、「仕事と遊び」の話を具体例に用いて、日本人はどうも両極端な話にすぐ飛びついてしまう傾向があるということを述べられていました。

次に、その両極端が「農業(農村)と工業(都市)」でもあるということで、農業(農村)は自然と共生している産業(地域)であり、工業(都市)は自然に負荷をかけて発展してきた産業(地域)である。しかし、農業ではサラリーマン並みに所得はあがることはないが、工業ばっかりやっていると自然に負荷をかけすぎてしっぺがえしをくらうことになる。たとえば、工業(都市)はエネルギーが必要であり、都市はどんどん肥大化していく。だからその需要をみたすために環境に負荷をかけて供給してきたが、それでも足りないから原子力発電に頼るようになる。本来、そういうエネルギーをつかわないようにしておけばそんな原子力発電に頼る必要はない。また、自然を壊すことによって都市で災害が起こるのは当然であり、都市化そのものが災害となっているという指摘もありました。

そして、その都市というものについても、戦後の日本人はアメリカを目指しすぎたために、日本全国が金太郎飴のように都市を目指してしまい、「農村には何もない」ということをいうようになってしまったことを指摘し、そうではなく自分たちの地域のもつアイデンティティーを保つことを目指すべきだったのだと述べられ、そこには文化があると述べられており、戦後日本は、都市と農村を二元化してしまい、両極端なものを目指してしまったと指摘していました。

言われてみればそうです。農村に住んでいる人は「うちには何もないから」といいますが、じゃあ、地方中核都市である松山でも同じく「うちにも何もないから」という話を聞きます。すべてが「都市」へとベクトルが向かっていることがわかります。都市化することがいいことだという概念が刷り込まれているのでしょう。

そして、地域づくりの原点は「地域資源の見直し」からはじめます。ないものねだりではなく、あるものさがしとはよく言ったものです。そこには生活文化があるということでしょう。

英語では農業については「agriculture」といい、また養殖漁業は「aquaculture」といいます。どちらも「文化=culture」という文言が入ることからも、農林水産業というのはまさしく文化に根差した産業であり、自然と共生しなければならない産業なのだということであり、「そういう意味で、負荷をかけすぎる、つまり工業化しよう、所得を増やそうとしたら、確実にしっぺ返しや失敗してしまう」ということであり、そうならないために「国全体で支える必要がある」ということなのだと感じました。

たとえば養殖漁業をするにしても、お金になるからとどんどん養殖する家が増えたとしても、飽和状態になってしまって自然の浄化能力を超えると海は汚れてしまい、負荷をかけすぎてしまいます。つまり、農林水産業では所得はある程度までしかあがらないのであり、それをサラリーマン並みに儲けようとしても無理が生じるということです。

しかし、その農林水産業を捨てられてしまうと、国民全体が息絶えてしまうのです。医食同源という言葉がありますが、食が国の根本であり、食べ物がないと人間は生きていけず、その食べ物も安心で安全でなければならないわけです。ゆえに、農村というものは国民が生きるうえで絶対不可欠であることがわかります。 

であるならば、都市の住民が農村にやってきて農村を支える必要があります。そこに交流人口という概念があるのだとわかりました。それも両極端ではなく、都市にも少し農村の要素があり、それがどんどん農村にいくにつれてその度合いが大きくなるという仕掛けが必要なのだと先生は述べられていました。

ということは、究極の農村の風景は、究極の都市の正反対でなければならないということでしょう。田舎からでてきた人間がコンクリートジャングルの超高層ビル群を見て「大都市」を感じるように、都市の住民が田舎へやってきたときにこれぞ田舎の風景というものを演出する必要があります。なぜ、その演出をする必要があるかということですが、先生は「その地域の魅力を知るために、歴史や文化を学ぶのには時間がかかるが、風景はたった一瞬だからだ」と述べられています。

都市の魅力や象徴がコンクリートジャングルならば、農村の象徴はナンなのかということです。農村からでてきた人が一瞬で都市の姿を見て都市だと思うように、ぱっとやってきた都市民にとってはぱっとみた一瞬の農村風景こそが一番重要になってくるのであるということなのでしょう。都市の住民がずっと長く滞在するのであれば歴史や文化を知ることができるが、そうはいかない。つまり「見た目が大事」だということなのだと思います。

ただ、その風景も機械的に「看板や電柱もなくしたほうがよい」ということではなく、地域になじんでいるかということが重要であるとも述べられていました。それが風景の一部となれば、それはそれでよいのであるということでしょう。そのために、その地域の風景を形成している産業は大切なのだとも述べられていました。

また、「都会人の見た目のこだわり」についても、これからは価値観がどんどん変容しており、「余暇の田舎暮らし」がトレンドになってくるのは間違いなく、都市は緑がすくなく人の心を癒すところがたいへん少ない地域であり、だからこそ都市の住民は癒しを求めて農村にやってくる。だから市民農園が人気なのだと述べられて、また若者が農村にやってくることが少ないのは若者には活力(生命力)があるからであり、活力が弱くなってきた人間ほど癒しをもとめに来るものなのだと述べられてました。

ただ、都市民は単なる癒しではなく「洗練された癒し」を求めており、都市ではおしゃれなところが繁盛しているという状況があるため、そんな都市民のニーズにあわせて、ある程度、農村も都市化とは異なるおしゃれが必要があるとも述べられていました。私はそれは「粋」とか「通」とかそういう言葉に代表されるようなことなのだろうと感じました。

そして、最後に「景観十年、風景百年、風土千年」という言葉を紹介し、風景づくりの5つのイニシャルなどを紹介されて講演をしめくくられていましたが、いわゆる「交流人口の拡大」のための「農村における風景づくり」について、たいへんユーモア溢れてわかりやすく講演していただきました。

このシンポジウムなどについてのお問合せ先は、内子町役場 町並・地域振興班(0893-44-2118)まで。

なお、2日目の石畳地区の視察の様子については、この「研究員ブログ」が文章ばっかりだったのでお詫びということで、事務局日誌において写真ばっかりでご紹介しております。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)