研究員ブログ

来年、全国町並みゼミが愛媛県西予市で開催されます

来年の11月に、愛媛県では地域づくり団体全国研修交流会愛媛大会(以下、愛媛大会)が宇和島市を中心とした南予一円で開催されますが、それとは別に来年の10月に西予市宇和町を会場とした「全国町並みゼミ(以下、町並みゼミ)」と呼ばれるまちづくりの全国大会が開催されます。

これは、NPO法人全国町並み保存連盟が主催する大会で、この組織は1974年4月、当時は保存より開発が優先した時代でしたが、「郷土の町並み保存とよりよい生活環境づくり」をモットーに、「妻籠を愛する会」、「今井町を保存する会」、「有松まちづくりの会」の3つの地域づくり団体からはじまり、現在は63団体を数える「小なりとも住民初の全国組織」になっています。

今年度開催された伊勢大会(三重県)では、伝統的な建築物などをまちづくりの観点で協議する目的で、全国から約600人の地域づくりに携わる方々が集い、伊勢市内5箇所で9つの分科会と町並み見学会を開いて、各地域における取り組みの様子やその課題などについて話しあいました。

来年の10月11日から13日にかけて開催を予定している西予市宇和町卯之町では、地域ネット研究会UWAのメンバーの方を中心として実行委員会を組織して準備をすすめていくそうで、当センターもお世話になっている岡崎直司さん(えひめ地域づくり研究会議事務局長)もこの実行委員会の世話人をつとめられるそうです。

また、この町並みゼミの詳細がわかりましたら合わせてこの研究員ブログでお知らせしてPRしたいと思います。
しかし、来年は「愛媛大会」といい、この「町並みゼミ」といい、立て続けに全国規模のまちづくりの大会が愛媛県で、しかも南予で開催されます。たくさんの人から元気をもらい、南予も活性化するといいなあと思ってしまいました。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

第19回全国農村アメニティ・シンポジウム

10月18日・19日の両日、内子町において第19回全国農村アメニティ・シンポジウムという大会が開催(主催:全国農村アメニティ協議会)されました。

内子座

※会場の内子座

受付の様子

※受付の様子

この大会は、農村アメニティの本質を明らかにするとともに、農村アメニティの水準をいっそう高めていくことを目的にして、お互いの経験や智恵を交流していくために開催されており、今回は内子町石畳地区が全国美の里づくりコンクールで最優秀賞である農林水産大臣賞を受賞したために、内子町で開催されることになりました。

10月18日(木)は、内子座において東京農業大学教授の進士五十八先生の講演ののち、進士先生をコーディネーターに4人のパネリストによるシンポジウムが開催され、翌日の19日(金)には内子町石畳地区の視察を行いました。

会場の様子

※会場の様子

この研究員ブログでは、初日の様子のうち、進士先生の講演会をお知らせいたします。

講演会では、まず大会名にもつかわれている「アメニティ」の用語の説明がありました。 たいていは快適空間などと訳されていること多いそうですが、先生によると「歴史や自然、文化を守り、大切にする」ことがアメニティの根本だということだそうで、日本でこの言葉を最初に使ったのは石原東京都知事(当時は環境庁長官)だそうです。

最初に使われた当時は、開発や活力を活発化させることにやっきになっていた時代で、風景を守るなんていうことはおろそか、意識の上ではナンセンスという時代でしたが、現在は「風景を守るということも重要である」と社会は認識するようになって来ました。

この価値観の変容については、「かつてここは取り壊して駐車場にしたほうがよいという住民の多数派だったのが、今では観光名所として「残さなければならない」と大多数の住民が感じている」といった会場となった内子座についても事例として述べられていました。

ただ、先生がいわれるのは、車の両輪のように両方共に大事で片方だけがということではないということで、それは日本人の心性というものに根付いている考え方であると述べられ、「仕事と遊び」の話を具体例に用いて、日本人はどうも両極端な話にすぐ飛びついてしまう傾向があるということを述べられていました。

次に、その両極端が「農業(農村)と工業(都市)」でもあるということで、農業(農村)は自然と共生している産業(地域)であり、工業(都市)は自然に負荷をかけて発展してきた産業(地域)である。しかし、農業ではサラリーマン並みに所得はあがることはないが、工業ばっかりやっていると自然に負荷をかけすぎてしっぺがえしをくらうことになる。たとえば、工業(都市)はエネルギーが必要であり、都市はどんどん肥大化していく。だからその需要をみたすために環境に負荷をかけて供給してきたが、それでも足りないから原子力発電に頼るようになる。本来、そういうエネルギーをつかわないようにしておけばそんな原子力発電に頼る必要はない。また、自然を壊すことによって都市で災害が起こるのは当然であり、都市化そのものが災害となっているという指摘もありました。

そして、その都市というものについても、戦後の日本人はアメリカを目指しすぎたために、日本全国が金太郎飴のように都市を目指してしまい、「農村には何もない」ということをいうようになってしまったことを指摘し、そうではなく自分たちの地域のもつアイデンティティーを保つことを目指すべきだったのだと述べられ、そこには文化があると述べられており、戦後日本は、都市と農村を二元化してしまい、両極端なものを目指してしまったと指摘していました。

言われてみればそうです。農村に住んでいる人は「うちには何もないから」といいますが、じゃあ、地方中核都市である松山でも同じく「うちにも何もないから」という話を聞きます。すべてが「都市」へとベクトルが向かっていることがわかります。都市化することがいいことだという概念が刷り込まれているのでしょう。

そして、地域づくりの原点は「地域資源の見直し」からはじめます。ないものねだりではなく、あるものさがしとはよく言ったものです。そこには生活文化があるということでしょう。

英語では農業については「agriculture」といい、また養殖漁業は「aquaculture」といいます。どちらも「文化=culture」という文言が入ることからも、農林水産業というのはまさしく文化に根差した産業であり、自然と共生しなければならない産業なのだということであり、「そういう意味で、負荷をかけすぎる、つまり工業化しよう、所得を増やそうとしたら、確実にしっぺ返しや失敗してしまう」ということであり、そうならないために「国全体で支える必要がある」ということなのだと感じました。

たとえば養殖漁業をするにしても、お金になるからとどんどん養殖する家が増えたとしても、飽和状態になってしまって自然の浄化能力を超えると海は汚れてしまい、負荷をかけすぎてしまいます。つまり、農林水産業では所得はある程度までしかあがらないのであり、それをサラリーマン並みに儲けようとしても無理が生じるということです。

しかし、その農林水産業を捨てられてしまうと、国民全体が息絶えてしまうのです。医食同源という言葉がありますが、食が国の根本であり、食べ物がないと人間は生きていけず、その食べ物も安心で安全でなければならないわけです。ゆえに、農村というものは国民が生きるうえで絶対不可欠であることがわかります。 

であるならば、都市の住民が農村にやってきて農村を支える必要があります。そこに交流人口という概念があるのだとわかりました。それも両極端ではなく、都市にも少し農村の要素があり、それがどんどん農村にいくにつれてその度合いが大きくなるという仕掛けが必要なのだと先生は述べられていました。

ということは、究極の農村の風景は、究極の都市の正反対でなければならないということでしょう。田舎からでてきた人間がコンクリートジャングルの超高層ビル群を見て「大都市」を感じるように、都市の住民が田舎へやってきたときにこれぞ田舎の風景というものを演出する必要があります。なぜ、その演出をする必要があるかということですが、先生は「その地域の魅力を知るために、歴史や文化を学ぶのには時間がかかるが、風景はたった一瞬だからだ」と述べられています。

都市の魅力や象徴がコンクリートジャングルならば、農村の象徴はナンなのかということです。農村からでてきた人が一瞬で都市の姿を見て都市だと思うように、ぱっとやってきた都市民にとってはぱっとみた一瞬の農村風景こそが一番重要になってくるのであるということなのでしょう。都市の住民がずっと長く滞在するのであれば歴史や文化を知ることができるが、そうはいかない。つまり「見た目が大事」だということなのだと思います。

ただ、その風景も機械的に「看板や電柱もなくしたほうがよい」ということではなく、地域になじんでいるかということが重要であるとも述べられていました。それが風景の一部となれば、それはそれでよいのであるということでしょう。そのために、その地域の風景を形成している産業は大切なのだとも述べられていました。

また、「都会人の見た目のこだわり」についても、これからは価値観がどんどん変容しており、「余暇の田舎暮らし」がトレンドになってくるのは間違いなく、都市は緑がすくなく人の心を癒すところがたいへん少ない地域であり、だからこそ都市の住民は癒しを求めて農村にやってくる。だから市民農園が人気なのだと述べられて、また若者が農村にやってくることが少ないのは若者には活力(生命力)があるからであり、活力が弱くなってきた人間ほど癒しをもとめに来るものなのだと述べられてました。

ただ、都市民は単なる癒しではなく「洗練された癒し」を求めており、都市ではおしゃれなところが繁盛しているという状況があるため、そんな都市民のニーズにあわせて、ある程度、農村も都市化とは異なるおしゃれが必要があるとも述べられていました。私はそれは「粋」とか「通」とかそういう言葉に代表されるようなことなのだろうと感じました。

そして、最後に「景観十年、風景百年、風土千年」という言葉を紹介し、風景づくりの5つのイニシャルなどを紹介されて講演をしめくくられていましたが、いわゆる「交流人口の拡大」のための「農村における風景づくり」について、たいへんユーモア溢れてわかりやすく講演していただきました。

このシンポジウムなどについてのお問合せ先は、内子町役場 町並・地域振興班(0893-44-2118)まで。

なお、2日目の石畳地区の視察の様子については、この「研究員ブログ」が文章ばっかりだったのでお詫びということで、事務局日誌において写真ばっかりでご紹介しております。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

建築物に見る愛媛の近代

(財)えひめ地域政策研究センターの事業に「まちづくり活動アシスト事業」があります。この事業は、まちづくり活動の活性化、地域の活性化を促進するために、県内で地域づくりのためのワークショップやイベントの開催、広報資料の作成などの活動を行っているまちづくりグループに対して、活動費の一部を助成するものです。今年度も5団体への助成が決まっており、それぞれの研究員がサポートしながら事業を実施しています。

私がサポートしている団体は「久米はいじの会」です。既にこのブログで紹介しましたが、今年7月に 来住廃寺まつりのプレイベントとして「シタール演奏の夕べ」を実施しました。

その久米はいじの会が、久米公民館とタイアップして「久米文化講座」を開催していることを聞きつけました。また、今回の講座は、当センターやえひめ地域づくり研究会議とも関わりの深い松山東雲短期大学の犬伏武彦教授の講話でもありましたので、興味津々参加してきました。

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「はいじの会」門田会長から犬伏先生を紹介

犬伏先生の講話は、「建物からは、時代が見える、生活が見える、文化が見える。そして、人間の姿が見える」とのお話から始まりました。

来住村(現久米地区)に明治4年に建てられた「伊勢屋」は、伊勢神宮への伊勢参り、伊勢神道が広がり、来住村伊勢講が結成されたことにより、神事や講員の宿泊のために、多数の信者緒方の百姓町人から寄進を受けて建ったものだそうです。明治6年に伊勢講の制度は廃止されましたが、神宮司丁という役所が置かれ、旧6月20日には大祭が昭和の支那事変まで続き、以降も青年団により伊勢屋祭り(夏祭り)が行われていたそうです。

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今の伊勢屋の外観

その他にも、明治初期の建物として、「広瀬邸」「開明学校」「道後温泉」(すべて重要文化財)を紹介して頂きました。犬伏先生は、世界的に見て2,300件しかない重要文化財の数から「日本は文化財貧困」と言われていました。ただ、その件数からも「選ばれた文化財」として、どれも貴重価値の高いものであり、新居浜の「銅山」、松山の「温泉」、宇和の「教育」と、それぞれの地域の明治初期の生活文化がよく現れていると述べられました。

明治6年に建設された釣島の灯台は、「愛媛の近代」の最たる建築物だそうで、イギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントン氏によるものだそうです。この灯台は、江戸から明治、鎖国から開国、近代日本へと国が生まれ変わるモニュメントであり、小さな島から愛媛の近代化が始まったそうです。

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分かり易くお話していただいた犬伏先生

はいじの会は、「国史跡久米官衛遺跡(来住廃寺)に興味を持ち、遺跡を通して久米地区の活性化」のために活動しています。埋蔵文化財の活用ですので、なかなか難しいようですが、今回の文化講座のように、広く地域住民に文化財について興味を持ってもらう機会を提供することは重要なことだと思います。

講座終了後、はいじの会のメンバーは、11月に開催する文化財を巡る「ウォークラリー」と「ネーチャーゲーム」(久米地区文化祭同時開催)の打ち合わせを行いました。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 松本 宏) 

新居浜太鼓祭り

 今年は、愛媛県西条地方局と西条まつり・新居浜太鼓祭り観光ブランド化推進実行委員会事務局がタイアップして「西条、新居浜、祭り三昧」と銘打って、いろいろな企画を行い情報発信されました。内容は、去る10月17日(水)新居浜市の市制施行70周年記念イベントとして、川西、川東、川東西部地区と上部地区において統一かき比べが行われた模様について紹介します。

【川西、川東、川東西部地区統一かき比べ】
 国領川河川敷において、川西地区11台、川東地区7台、川東西部地区6台の合計24台の太鼓台が交互に入場してかき比べが行われました。当地区では、差し上げている時間とかき上げている時間の長さを競い合いました。差し上げ部門では、川西地区の久保田太鼓台が約4分近く、かき比べ時間部門では、川東西部地区の澤津太鼓台が約15分間も担ぎ最優秀賞となりました。今回は観覧席(有料)が設けられ、観客の皆さんも安心して太鼓台の勇壮、華麗さを十分堪能されたことと思います。
 ただ今回初めての試みとして行われた関係上、会場内のアナウンス等が少し聞こえにくいところがあったことや太鼓台の説明内容を少し工夫する必要があったのではないかと思います。

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川西・川東・川東西部地区統一かきくらべの様子
 

【上部地区統一かき比べ】
 山根グランドにおいて船木地区5台、中萩地区6台、泉川・角野地区7台の合計18台と子供太鼓台数台が参加してかきくらべが行われました。最初の18台協力により、「祝 市制70周年 新居浜太鼓祭り統一よせ ようこそいらっしゃいませ」の横断幕を掲げて始まりました。当地区では、中萩地区6台の太鼓台が、お互い隣同士寄せ合って担ぐ「よせがき」が有名です。写真でも見られるように一糸乱れることなくお互い協力し合って行わないとできないことです。この時は、約1万人以上の観客から盛大な拍手が起こりました。その他の地区のかき比べでもそれぞれ200人近いかき夫の皆さんが協力して華麗なかき比べが行われました。上部地区は、日常このようなかき比べイベントに慣れているからか、企画内容もすばらしく、また司会者のアナウンスも、ユーモアがあり、観客の皆さんも十分楽しめたのではないかと思います。

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 上部地区統一かき比べの模様

 しかし、無事故で明るい平和な祭りを目指していたわけですが、3地区において禁止されている鉢合わせが行われ、数名の負傷者が出たことは大変残念なことでした。

 今年の統一寄せかき比べは、市制施行70周年の記念イベントの中で行われましたが、新居浜太鼓祭りを全国観光ブランドにしていくためには、身近に感じれるように観光客も安心して参加ができるような体験型など、市民の一人ひとりが協力し合って、すばらしい企画力と情報発信力を発揮する必要があるのではないでしょうか。

(文責 企画研究部門 研究員 秋山照彦)

地域SNSの可能性

最近、自治体の間でも独自にSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)を構築して、それをまちづくりに活用している事例がある。この取り組みを最初に行ったのは熊本県八代市。現在、このケースをモデルケースとして総務省はシステムプログラムを配付している。

SNSとは、社会的なネットワークをインターネット上で構築するサービスのことで、人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型の会員制のサービスである。登録制や招待制などのいくつかの仕組みがあり、日本で一番代表的なSNSといえば「mixi(ミクシィ)」であろうか。

といってもインターネットに詳しくない人は何のことかよくわからないと思うのでもう少し説明しよう。

通常、インターネット上で掲示板(BBS)などを設置しても、特に制限をかけない限り不特定多数の世界中の人たちが閲覧して意見を出すことが可能であるが、ミクシィのようなSNSの場合、会員になっている人から招待されないかぎり、絶対にミクシィを利用できないという前提があり、招待されて会員になると自分の個人情報を記入することになるが、もともとが知っている人から紹介されているので、まず匿名性が低くなる。

次に、ミクシィ内でも「自分の知っている友人だけに公開してもよい情報」、「友人以外にも公開してもよい情報」などの情報の振り分けが可能となり、信用度があがる一方でこれまた匿名性が低くなり、お互いの顔がみやすい形をとることが可能で、わりと個人的な情報も交換しやすくなるという利点がある。

また、さまざまなトピックに沿って集まったコミュニティ、たとえば松山市出身で野球好きが集まっているコミュニティがあるとすると、そこに自分がそのコミュニティに加わって松山市出身の人たちと野球についてインターネット上で会話をすることができるというサービスもあり、そのコミュニティに加わった仲間同士がネット上で会話することによって、新しい人的ネットワークが生まれたりすることもある。

そんなSNSを熊本県八代市では職員が業務の合い間に自前でシステムプログラムをして、自前のサーバー内にSNSを開設して2004年11月に本格導入した。

八代市のSNS「ごろっとやっちろ」には、イベントの告知などに使える掲示板、趣味や目的別のサークルをネット上に作れる機能、写メールで撮った写真を掲載できる機能、簡単に自分のWEBページをつくれる機能、日記(ブログ)機能など、いわゆるSNSと呼ばれる機能の標準的なものはすべて揃っている。

このサービスを導入してから八代市のアクセス数は急増し、市内のサークル活動や情報などローカル情報が飛び交うようになり、また市民同士の交流も深まって、あわせて市の情報発信効果も現れてきているという。

この成功例に触発されて全国的に「地域SNS」を利用する自治体が増えているらしく、地域SNSに限らずITをつかったコミュニティづくりの一例として注目されているようである。

たとえば和歌山県北山村では、「田舎の暮らしと街の暮らしをつなぐ」というコンセプトのもとで、「村ブロ」と呼ばれるインターネット上に自治体発の「田舎暮らし専門」のポータルブログサイトをつくっている。無料登録で村民になるとブログをつくることができるようになるが、その村人も北は北海道から南は沖縄まで全国的にいて、実は愛媛県にもひとりだけ村人がいる。

さて、県内に目を向けると、四国中央市ではSNS「よらんかほい!」、新居浜市では「eにいはま」を開設しており、またSNSではないけれども、教育に利用した「子供向け」のネットサービスを西条市が開始したという新聞記事が掲載されていた。この「西条市あしたね」と名づけられたサイトは起業家教育に取り組んでいる西条市が仕事や職業に関する情報を提供するサービスをインターネット上で行うというもので、市内の仕事人のインタビュー記事がメインの記事となっているが、こういった子ども向けのサイトを自治体が構築するのは全国初だそうである。

このサイトは、閲覧は公開されているけれども記事への投稿などについては、あらかじめ割り振られたパスワードを使ってログインする必要があり、そのパスワードは西条市の小学校5年生以上の児童・生徒しか与えられないようになっており、いたずらや中傷などを防ぐ役割を持っている。

いずれにせよ、ITをツールにした地域づくり・コミュニティづくりはこれから隆盛を極めていくはずであるが、ここで考えておきたいのはブロードバンド時代になったとはいえ、情報基盤整備のインフラ格差がまだまだあるということである。筆者がかつて勤務していた地区は現在もISDN回線しかないのである。そういった場所によってはまだまだナローバンドのところもあるという事実を踏まえつつ、ITをつかった施策をしなければならないだろう。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)