研究員ブログ

あれから13年・・・

昨日は1月17日。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から13年が経ちました。個人的なことで恐縮ですが、この阪神・淡路大震災の直後に、大学入学のために神戸に移り住んだ私としては学生生活4年間が震災復興の歩みとともに過ごしましたので、あれから13年も経ったのかと思うとなんだか感慨深くなります。

私が大学に入学した当初、JR神戸線しか阪神間には電車が開通しておらず、その電車に揺られてみる神戸の風景は、屋根にブルーシートばかりがかけられている風景で、多くの被災者が公園や学校などで避難所生活を送っていました。

そんな入学間もないとき、一度だけ炊き出しのお手伝いに近くの小学校に行ったことがあります。ボランティアということではないですが、何かできることがあればと思い、子どもたちの遊び相手になりました。そこには、多くの市民ボランティアが組織され、被災者支援のために集まっておられました。

現在、全国各地でまちづくり活動の一翼をになっている「NPO(Non Profit Organization)」という組織が日本国内で誕生したのは、この阪神・淡路大震災による被災者救援のために多くの市民ボランティアが結成されたことが契機となったといわれており、阪神大震災の3年後にはNPO法人のための支援法(特定非営利活動法人支援法)が議員立法により制定され、市民活動団体が法人化できるなど、まちづくりを取り巻く状況がかわるきっかけともなりました。

また、大学2回生の夏、各家庭に広報紙を配る短期アルバイトをしていたときに、仮設住宅にも広報紙を配っていたのですが、そのアルバイトをした一週間後のテレビのニュースで、私が配ったエリア付近の仮設住宅で独居老人の孤独死が発見されたというニュースがテレビで流されていました。

そのときは単に驚いただけでしたが、社会人となりふたたび淡路島の被災地を訪れた際に、神戸の中心部と淡路島のそことは人的被害に大きく差がでており、そこには「地域コミュニティ力の差」という問題があったのだということを知ったとき、大学時代には気づけなかったニュースに込められている本当の意味を知りました。

現在では、阪神・淡路大震災の教訓を生かして「地域防災力」を高める必要性が大きく問われるようになり、それが中越地震といったその後の大規模な地震災害に生かされたという事例もあります。

そして、大学3回生のときにアルバイトでやっていた家庭教師先の当時中学1年生の男の子は、毎年1月17日だけはどうしても怖くて夜も眠ることができないと話し、震災が幼い子どもにも大きな爪あとを残していることを痛感させられました。

ちなみに、子どもたちの心のケアをする「スクールカウンセラー」が学校に設置されはじめたのは、阪神・淡路大震災直後の平成7年度からです。

あれから13年・・・。今から思えば「阪神・淡路大震災」を契機に世の中が大きくかわった事例が多いように思います。まあ、結果論なのかもしれませんが。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)