皆さん、こんにちわぁ~☆研究員川渕です(^_-)
早速、先月開催されました第5回地域づくり人養成講座の様子をアップしますのでご覧くださいね☆今回は近代化遺産がテーマですので、岡崎主任調査員(今回は講師です☆)のお弟子さんである土岐研究員とコラボしながらお伝えしま~す(^◇^)
この日は微妙な天気でしたが、雨なんて吹き飛ばしてしまえ~的な感じで朝、8時30分頃松山を出発(^O^)/途中、双海シーサイド公園で休憩をはさみ、八幡浜市保内町へGO☆
川渕:午前10時、早速講座を開始です☆今回のテーマは近代化遺産ということですけれども、「近代化遺産とは?」を簡単に教えてもらえますか?
土岐:了解。皆さんこんにちは、元気にしてますか!?
「近代化遺産」とは・・・あまり聞いたこともない人も多いでしょう。日本の近代化を支えてきた幕末~太平洋戦争終了時までの建造物のこと。平成5年に重要文化財に新たに設けられた種別なのです。
ちなみに・・・「遺産」という言葉は日本では「残されたもの」という印象が強いけど、英語の「遺産」を意味する”heritage(ヘリテージ)”には、「後の世代に伝えるもの」という意味合いが強く、次世代や未来へ向けた言葉なのです。
川渕:なるほど~(^^)フムフム!さて、まずは建物の説明から始まりましたよ☆土岐さん、この建物はどういった建物なんでしょうか?
土岐:この建物ね。こやつは「白石和太郎家 洋館」なるもの。白石和太郎(慶応4年~大正4年)は鉱山経営を中心に多くの事業で名を馳せた大起業家。第二十九国立銀行の設立・勧誘の当初から関わり、銀行の株主となった12名の1名。ちなみに第二十九国立銀行は愛媛県で最初の銀行ですよー(現:伊予銀行)。
外観はきめ細かいヨーロッパ風彫刻で装飾されギリシャ建築を思わす様式。小規模ながら本格的な意匠で、完成度の高さは全国的に見ても引けをとらない明治洋風建築。この洋館は事務所として建てられたみたいです。
建築年ははっきりしていないですが・・・2005年に屋根を修理したときに、鬼瓦の裏に明治36年の新聞記事のインクが写っていたので、その頃かな~。ちなみに一般の方でも見学可!
川渕:さすが土岐さん(^^)詳しいですね~☆
川渕:皆さん、上を見ていますけど…何があるんでしょうか?
土岐:まぶしっ!でも照明のことじゃないよ・・・その照明のある天井にある装飾。それは「世界地図」!白石和太郎が明治において世界を見据えていた感じがしますね。よく見てみると・・・台湾も日本領となってます。当時の台湾は日本領でした(今は違うよ・・・念のため)。
川渕:さて、建物の説明が終わり、講義に入りました。…って油断している人物を発見!!よ~く見てみると…こら~(>_<)あくびしてちゃダメ~
土岐:こら~!!って、写真がちっちゃくて誰かわからんな~・・・
川渕:土岐さん、師匠でもある岡崎講師のことを知りたい方もいらっしゃると思うので、180字以内でご紹介してください(^_-)(180字以内ってフレーズ…どこかで聞いたような…(笑)
土岐:八幡浜市生まれのあちこち育ち(転居歴26回)。愛媛県ならたいがいの場所で住んだことがあります。愛媛における近代化遺産の実力者。今は「近代化えひめ歴史遺産総合調査事業」の主任調査員をお願いしてます。屋根裏からはじまって、山奥、無人島・・・「愛媛のインディ―ジョーンズ」と呼ばれています!?
川渕:あぁ~(^v^)これはたしか昔の学校ですよね?宇和の開明学校??
土岐:ぐ~・・・zzz・・・はっ!!これ何やったけ~?
そうそう、宇和町卯之町にある「開明学校」。国重要文化財に指定されてまんねん。この映像の写真は昔の写真やな~。
そんなこんなで昼食タイム☆今回は、保内にある「和食庵ことみ」さんのところでお世話になりました(^^)/その節はありがとうございました☆昼食が終わり次第、即移動です!(この日は1分たりとも余裕がなかったのです(^_^;))
午後から大峯銅山(現在は富士シリシアさんの工場内にあるんです)を見学しま~す☆
入場料は「自分の署名」という粋なはからいをしてくださった工場長さん(^^)/ありがとうございます。また、この署名もどこかに飾ってくださるのだとか…(^◇^)
見学者にも分かりやすいようにパネルも置かれていました。
ヘルメットを被って記念撮影☆皆さん、良く似合っていますよ~(*^_^*)
さぁ~いざ、中へ!!ここからは土岐さんにもコメントをいただきます☆
川渕:土岐さん、この銅山はいつ頃のものなんですか?そのへんを具体的かつ簡潔にお願いします(^^)/
土岐:大峰銅山は明治23年に発見されて昭和33年に休山。別子銅山や足尾銅山にも並ぶと言われたほどの銅山なのです。ちなみに、当時の岬半島には100以上の鉱山があり、大鉱山地帯だったのです。
長く閉鎖してましたが、昨年11月に敷地を所有している「富士シリシア」さんの「当地を歴史観光に役立てていこう!」という思いから、整備され開口しました。
川渕:中は意外と暗いですね~(^_^;)鉄骨が組まれているのは…?
土岐:これは、昨年に開口したときに補強した鉄骨なので、最近のものだよー。
川渕:このレンガの積み方はイギリス式ですか?(あまり自信なし)
土岐:う~ん・・・「長手積み」かな~。
川渕:足元を見ると、端の方は水がたまってたりしていましたが…。
土岐:たぶん排水じゃないかな~・・・ちょっと不明。
川渕:土岐さんが調査に行かれたときにはなかったんですよね?たしか長靴持参だったと聞いてますが…(汗)こういう気遣いは有難いですね~(*^^)v
土岐:おーすげー!きれいになっとる!そうそう、前はこんな板なかった!しかも梅雨時期に行ったから「じゅるじゅる」。ぬめっとしてた。
川渕:おや?天井部分と側面部分ではレンガの種類も違うようですが、そのへんを詳しくお願いします(^^)/
土岐:天井のやつは普通のレンガやね~。下の部分は「カラミレンガ」。「??」っていう方に・・・カラミは「鍰」と書きます。鉱山から採掘した銅鉱石を、溶鉱炉で溶かして銅を取りだす際に残ったもの(いわゆる残りカスかな・・・)。それをレンガ風に固めて、レンガのように使ってます。
ちなみに新しくなった「新居浜駅」のロータリーにも大量のカラミレンガが使われてます。さすが別子銅山で発展した新居浜らしい!たぶん観光目的でしょう。
川渕:さぁ、大峯銅山を後にした私達は日進館(現在は愛媛蚕種株式会社)という建物へ…。ここはどういった建物なんですか?
土岐:明治17年創業し、事務所・第一蚕室・第二蚕室の3つが国登録文化財になってます。事務所は明治後期、第一・第二蚕室は大正8年建築。最盛期には全国で3本の指に入る程の隆盛でした。
ちなみに蚕種製造とは・・・繭の蛾に産卵させて、人工的に孵化させ、1~2歳まで蚕(かいこ)を育てて、養蚕農家に販売するという商売です。
川渕:ここで一番、押さえておかなければならないポイントを教えてください(^^)/
土岐:「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として国登録文化財になった建物で、建物自体も素晴らしいけれど・・・やっぱり、今なお現役の建物として蚕種製造がおこなわれていることかなー。ちなみに今となっては西日本で唯一だそうです。
川渕:むむっ?岡崎講師が指しているのはたしか、日進館の名前が書かれた…やつですよね?土岐さん(?_?)
土岐:そうそう。いつの時代か忘れたけど、「蚕種番付」なるもの。つまり蚕種製造の当時の全国ランキング。相撲番付みたいに横綱・大関・・・みたいになってたな。
川渕:「まゆ美の肌」という商品☆お土産に3つほど買わせていただきましたよ~(^^)/これは何に使うのでしょうか?
土岐:わかりまちぇん・・・美肌やったっけ!?
川渕:続いて向かったのは、「美名瀬橋」と「東洋紡績赤煉瓦倉庫」です☆
ありゃりゃ~???誰だろ~(?_?)なんか画になっている人は…
川渕:さてさて、東洋紡績赤煉瓦倉庫&美名瀬橋についてを解説していただきましょう~☆
土岐:東洋紡績は明治20年に愛媛県で最初に設立された紡績会社で、なんと四国で初めて電灯が灯ったところです。昭和35年に閉鎖し、今は倉庫だけ残ってますが、川之石地区の黄金期を象徴する建物です。
んで、美名瀬橋は昭和8年にできたRC造。土木史学会の「現存する重要な土木構造物2800選」に選ばれてます。昔は親柱に灯籠があって灯がともっていたそうです(今はないよ)。
川渕:ここは「もっきんロード」を呼ばれるところです☆なんか欧風漂う感じがしますけども、この「もっきんロード」という名称の由来はなんですか?
土岐:木琴に似ているから!っじゃないかな~!?誰かが命名しました。そういえば「もっきんロード」に命名者の看板があったな~。たしか小学生の○○さん。
川渕:もっきんロードを歩いていくと、保内中学校の横を通るんですけど…!?この石垣はなんですかね?
土岐:こ・・・これは!う~ん・・・石垣は石垣やろ!石を積んだやつ。ちょっとお腹が痛くなってきたので、この石垣の話は中座しまーす・・・。
川渕:いや~なんか、いい風景ですよね~☆川の町みたいな感じで(雨ですけど…)
土岐:めっちゃ雨降ってたな~。だいぶお腹痛いのおさまってきた・・・
川渕:おや?中学校の壁に掲げられているのは…?もしかして一番左って土岐さん??
土岐:そうそうそう・・・ってなんでやねん!私は一番右のやつ!!
じゃなくて、保内町3傑と言われる人物達です。
川渕:な~んだ!土岐さんじゃなかったんですね(^_-)それでは、ウンチク王の土岐さんにこの3名の方々をご説明していただきましょう~☆
土岐:左から「富澤赤黄男」「二宮敬作」「前田山」。「富澤赤黄男」は俳人で新興俳句運動の第一人者となった人。「二宮敬作」は医者でシーボルトの一番弟子。「前田山」は第39第横綱で、外国人力士第一号となった高見山の親方でもあり、相撲の国際化に努力した人です。
現地から帰ってきて早速グループワークです☆今回は東洋紡績赤煉瓦倉庫を今後どう活用していくか提案するというミッションです(^-^)
早速、グループ内で話し合いです☆
みんな真剣ですね~☆
そう、いろいろ意見を出しあ・・・約1名の方は何でカメラ目線なんでしょうね(笑)(実は今までの講座で写真を撮ってきたのですが、土岐さんは全てブレてたんです(泣)今回こそはブレてない写真を・・と)←よろしい!(土岐)
ミッションでは以下の項目を考慮しながら実行していきます☆
①建物は原則として改変しない
②現業との関係について(厳しい経済環境にある)
③地区の公民館が不足している
④もっきんロードとの調和を考える
ズド~ン(^O^)チームジャッキーです!相変わらずスゴイですね~☆回数を重ねるごとにスピードが速くなってます☆他のグループも負けてませんよ~(^◇^)
さて、時間もありませんので発表タイムです☆まずはチームジャッキーからです。発表者は眞鍋さんですね(^_-)
ジャッキーでは、赤レンガ倉庫を軸として、自治公民館兼まちの資料館として活用できる「青空公民館」を開設。地域コミュニティの場や観光客向けの情報発信拠点として活用されるようです。また、「もっきんロード」は、「もっきん」という部分から音楽に視点をあて、アーティストの集まる場として活用することを提案。『500人でもっきん演奏』など面白い企画が挙げられていましたよ☆また、赤レンガ倉庫の横にある製材所は、その辺り一帯を「木の香り」で癒す大きな資源となるため、儲からないからやめるのではなく、木材としての利活用を視野に入れ、「木工体験」や「ウッディクラフトキット販売」などが提案されていました。
・なぜ→知られていない、もったいない
・なにを→赤レンガ倉庫
・どこで→川之石地区全体
・いつから→いやし博までに
・誰が→地域の人が
・誰のために→地域の人に対して
・どのように→住民+企業
岡崎講師からは、製作所でもっきんづくりなどをすると経済効果も期待される。「木の香り」と「もっきんづくり」は評価が高いとのこと。また、「川の駅」なんてのも、今のままで(川があって、ボートがあって)やるというのも面白いとコメントをいただきました☆
やはり、前神さんの頭で描かれたものですから補足はしないといけませんよね(笑)
次にチーム先頭集団です。発表者は菊地さんですね☆
先頭集団では芸術的な活用として、「クラフト芸術村」「前田山スポーツ博物館」「コンサートホール」などを挙げられていました。また、食文化として「ご当地グルメ」「倉庫を活用した地場産業(シーフードレストラン)」「道の駅」などを提案されていました。全体と通してみてみると、小樽に近いものがあるのでは…ということで『ミニ小樽』として売り出してはとの提案もありましたよ☆
岡崎講師からは小樽の景観に似ているという部分で『伊予の小小樽」として売り出すのは面白い。そして、教育の場、海運業を軸とした利活用も評価が高いとのコメントをいただきました。
最後はチーム麦みそです☆発表者は河上さんですね~(^O^)
麦みそは「風の交差点~保内~」と題して、自転車を活用したまちづくりを提案されました☆サイクリングオアシス構想として、赤レンガ倉庫をバスターミナルとして活用するのだとか。地元の人の共有施設としても活用でき、コミュニティスペースとしての利用やサイクリングなどの練習の場、子供たちが地元を知る場としても活用できると提案。
・情報、交流
・休む-散策、ポタリング
・食べる-コミュニティレストラン
・泊まる-赤レンガの中でキャンプ
岡崎講師からは、サイクリングに絞り込んでいたので分かりやすかった。赤レンガをオアシスにするという構想はとても面白い。発展の仕方なども分かりやすく高評価とのことでした。
最後に前田先生から講評をいただき、それぞれのグループで格段にレベルが上がってきているとコメントをいただきました。また、注意点としてグループワークに入る際、記録がないことが挙げられました。記録がないと、色々意見を出しても、次々と消えていってしまうので、誰かが残す役になるよう心掛けてくださいとのことでした。
こんな感じで第5回講座は終了です☆皆さん、お疲れ様でした(^O^)/
このあとは恒例の交流会です(^-^)
今回は、「武蔵(たけくら)」さんというお店でお世話になりました。もう、新鮮な料理がびっしりと並んで大満足でしたね~☆お御馳走様でした(*^_^*)
交流会には地元八幡浜市役所から高倉さんにも来ていただき、交流を深めることができました。高倉さん、急遽お誘いしたにもかかわらずお越しいただきましたこと、誠にありがとうございましたm(__)m