研究員ブログ

起愛塾特別シンポジウム

6月24日(日)、NPO法人「起愛塾(きあいじゅく)」主催の特別シンポジウムが、愛媛大学の総合情報メディアセンターを会場に開催されました。

この「起愛塾」は、郷土愛媛に愛着を持つ関東在住愛媛県出身者を対象に、愛媛にユーターンして起業しようという志を持った人々を発掘し、支援することを目的に平成15年に開塾され、平成16年から18年の3年間は、愛媛県若年者就職支援センター「愛Work」の委託を受け、愛媛県内で同様の志をもつ人々も対象として松山校も開設し、東京と愛媛で「ニュービジネスの立ち上げ」をキーワードに塾の運営を行ったりもしており、起愛塾のユニークな活動は「起業」を志す人たちにとって県内外で広く知られています。

さて、そんな「起愛塾」の特別シンポジウムとして、起愛塾理事長の奥島孝康氏(元早稲田大学総長)と愛媛銀行頭取の中山紘治郎氏が、「愛媛(特に南予の)活性化」についてのトークセッションが行われるということで参加してまいりました。

この日のトークセッションは、奥島氏のいる東京と中山氏のいる愛媛をインターネットでつないで二元中継でトークセッションが行われるということで、時代はここまできているんだなあとアナログな私は感心しきりでした。

それで、気になるトークセッションの内容ですが、これからの愛媛の活性化のあり方を考えるということでお話があったのですが、お二人とも宇和島市にゆかりのある方(奥島氏は宇和島東高校出身、中山氏は宇和島南高出身)ということで、自然と内容も「宇和島を中心とした南予の活性化」という話題にうつっていきました。

奥島氏からは、企業においてはCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任のこと)がトレンドであり、企業が社会的責任を果すことは企業のイメージの向上、企業価値を高めることになっている現状をお話しいただき、司馬遼太郎氏がこよなく宇和島を愛し、「宇和島には文化の薫りがある」と述べたいう逸話から、これまでは「文明(=均一品質のものを大量生産)の時代」であったが、これからは「文化(=独創性、地域性のあるものを生産するといった手作り)の時代」へと移項しなければならないと述べ、愛媛にはその土壌があるという話をされていました。

また、中山氏からも同じく司馬遼太郎氏の話を出しながら、古きよきものが次第に失われつつある現状があり、それが文化力の低下を招いているというお話があったのち、南予の活性化は、南予がもつ強みである「豊かな自然」を活かさなければならないと述べられ、具体例として内子町にある「フレッシュパークからり」の事例を紹介していただき、養殖業のブランドイメージ向上(養殖魚という言葉のもつマイナスイメージ払拭)、団塊の世代の移住促進、一次産業と観光資源をあわせた新しい産業の創出といったところについて言及がありました。

その後、参加者から「都会で学んだことを地域(地元)に還元しようという取り組みは、現在どのようになされているのだろうか」と質問があり、奥島氏から早稲田大学で行われている学生による起業コンペの取り組みについてお話があり、教授が優秀な学生にベンチャーでがんばっている企業を就職の斡旋紹介をしても、その学生の親が反対して大手の企業に就職するケースが多く、どうしても企業のブランドで判断されてしまう傾向がまだ日本では根強いこと、起業しようと考えている学生にしても、たとえば自分の家業を継いでそれを発展させようということではなくて、世界に視野を向けて起業をしたいという学生の割合のほうが多い一方で、家業をきちんとまじめにやっている親のところには子どもは帰ってきていることが多いという事例もあるということも述べられていました。

最後に、これからの愛媛の発展には、「自分で考えて、自分で動くこと」、よい意味での「自立」が大切であると締めくくり、活性化については「食」というものがキーワードになってくるのではないかともおっしゃられていました。

Uターンして愛媛で起業をしたいなあと思われている方、起業について興味をもっておられる方、そういった方はNPO法人「起愛塾」の門を叩いてみてはどうでしょうか?

また秋からは「起業」についてのセミナーも東京で開催されるそうです。愛媛県内の在住の方で受講を希望される方も東京までの交通費(松山東京間の往復バスだそうです)が支給されるそうですので、興味のある方は「起愛塾」までお問い合わせしてみてはどうでしょうか。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

(財)日本経済研究所主催講演会の感想

6月19日に参加した講演会の感想を披露します。講演者は藻谷浩介氏で、テーマは“「地域間格差」は本当に拡大しているのか”でした。藻谷氏は日本政策投資銀行地域振興部の参事役で、政府関係委員を多数兼ねながら、各地で講演もされています。

内容は非常に面白いものでした。一例を挙げると、バブル崩壊後の「失われた10年」について、藻谷氏は全国的には少なくとも「失われた10年」の前半は「失われ」ていなかったのではないかと言います。個人所得や小売販売額は、バブル崩壊後も1996年頃までは増加基調で推移しており元気だったと。なぜか?大きな要因としては現役世代人口の増加です。その頃までは新規就業者数>退職者数でした。団塊ジュニアが社会に出て、得た収入を消費に回すことの方が、昭和一桁生まれの人たちが退職して、所得と消費を減少させることを上回っていたといいます。

また、地方に住んでいると、都会は地方とは違ってさぞかし景気が良いんだろうなあと思ってしまいますが、首都圏一都三県の人口動態を2000年と05年とで比較すると、“転入者数-転出者数”と“出生者数-死亡者数”はともにプラスで、総人口としては1百万人程度増加しているが、個人所得や消費に大きな影響を与える世代の人口(20~59才)は減少していることが確認できます。藻谷氏は、都会が一極集中的に繁栄しているのではなく、相対的な速度の差はあるものの、都会も地方も現役世代人口は総じて減少していることを指摘していました。

藻谷氏は調査にあたって、統計数字は絶対数で捉える(他人が適当に係数をかけてつくった指標は信用しない)、先入観を排除する(先入観を持っていると、それに符合する事象にしか着目しなくなる)ことなどを心掛けているそうです。

私も当センターの研究員として、調査をおこなうにあたっては、先入観にとらわれず、事実を確実に積み上げていかなければならないと強く思いました。なお、藻谷氏の講演等はインターネットで検索すれば多数ヒットします。年間400回以上登壇しているそうですから。

(文責 企画研究部門 研究員 越智隆行)

アンテナショップ香川・愛媛「せとうち旬彩館」

 6月19日(火)に東京出張の機会をいただき、当センターの越智研究員とともにアンテナショップ香川・愛媛「せとうち旬彩館」に行ってきました。まずは、「せとうち旬彩感」の概要について簡単にご紹介させていただきます。

 「せとうち旬彩館」は、香川・愛媛両県の特産品の展示販売、観光案内、郷土料理、食材の提供を通して、物産の販路拡大や観光情報を発信するなど、両県のイメージアップを図ることを目的として、平成15年3月にオープンした施設です。ちなみに、都内には約30余りの自治体などがこうしたアンテナショップを開設していますが、二県共同での開設はここだけだそうです。

 せとうち旬彩館

 実は私、約6年ぶりの東京でございまして、羽田空港から高層ビル群と人波に軽いカルチャーショックを受けつつJR新橋駅へ。野生の勘が機能せず、お約束どおり?出口を間違え裏街道を彷徨うこと約10分。間違いに気付き、駐車場の警備員さんに道を尋ねようやく「せとうち旬彩館」の看板を発見し、何とも前途多難な東京出張の幕開けとなりました。

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 旬彩館は、新橋マリンビル内に出店され、1階には各県ごとの物産コーナーが設けられ、うどん、みかん製品、干物類など、両県の特産品が並んでおりました。商品は、タルト、じゃこ天など愛媛ではメジャー級の商品から、地元でしかお目見えできない逸品なども数多く見受けられました。中には初めて拝見する商品もあり、日帰り出張ではありましたが、東京にいながら郷土を身近に感じることができ、何だか嬉しい気持ちになりました。

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 また、店内にはイベントコーナーが設けられており、当日は「愛南町特産品フェア」が開催されておりました。宇和島地方局農政普及課の橋岡係長さんをはじめ愛南町ビジネスモデル研究協議会のメンバーが、愛南ブランドの特産品や農家民宿などのグリーンツーリズム活動について熱心にPRをされておりました。このコーナーでは、今後も両県各地のイベントが予定されているそうです。

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 2階には、瀬戸内の郷土料理が味わえる食事処「かおりひめ」と観光交流コーナーが設けられており、せとうち旬彩館(えひめ観光物産プラザ)の本橋業務課長さんと愛媛県東京事務所の塩梅えひめブランド推進課長さんから貴重なお話を伺うことができました。お話によると、旬彩館の平成18年度売上高は、都内約30件余りのアンテナショップの中でも、北海道、沖縄県、鹿児島県などとともに上位グループにランクするそうです。好調の要因として、香川・愛媛の共同出店による商品の多様化やJR新橋駅前という立地条件、特産品ショップだけでなく郷土料理が堪能できる食事処があることなどが考えられるそうです。また、昨年夏に全国東宝系の映画館で上映された映画「UDON」が好評であったことも大きいとか。最近はテレビ関係の取材も多いそうで、当日も雑誌の取材が予定されていました。

 ちなみに、じゃこ天、ちりめん、タルト、六穀、うるめ丸干し、子いか、アジひもの、島いちごどら焼き、焼えび、松山あげ、玉ねぎサラダ、ゆずこしょう、みかんはちみつ、きざみめかぶ、わらび餅などの商品が売れているそうです。また、来館者の内訳は、県人関係者が約3割、一般が約7割とのことでリピーターも増えているそうです。

 昼食は食事処「かおりひめ」にて、私は鯛めしの定食、越智研究員は釜揚げたらいうどんとあられ丼の定食を注文し美味しくいただきました。店内は昼前にもかかわらず満席状態で、かなりの盛況振りがうかがえました。

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 夕方、他県のアンテナショップも拝見しましたが、店内は広く商品も都会的というか洗練された感があり、まるでデパートの一角を思わせる雰囲気でした。多少愛媛びいきかもしれませんが、「せとうち旬彩館」で感じた素朴さや純粋さ。今まで漠然と使っていた「愛媛産には愛がある」というフレーズ。少しだけ理解できたような気がします。

 (文責 企画研究部門 研究員 渡邊 赴仁)

へんろ道体験清掃ウォーキング歯長峠

 去る6月17日(日)午前9時からへんろ道体験清掃ウォーキングが行われ、前日のフォーラムに引き続き当センターから松本・谷本・坂本の3名の研究員が参加しました。
天候が心配されましたが、集合場所であるコスモスホール三間の駐車場には、一般参加者のほか宇和島市関係者や宇和島信用金庫の方々総勢約160名が集まりました。

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※開会行事、参加者に軍手を渡す宇和島市環境美化推進課の職員(奥)は、本年3月末まで当センターで勤務された兵頭利樹 前研究員です。

注意事項の説明などの後、「42番札所佛木寺」へ移動し徒歩にて出発。
今回清掃活動を行う区間は、佛木寺から「43番札所明石寺」を結ぶへんろ道、歯長(はなが)峠経由で約3キロの区間です。

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※清掃活動に没頭する谷本研究員(左)と松本研究員(右)。後方は延伸中の四国横断自動車道(松山自動車道)。

歩き始めて15分。県道をそれ、険しい山道へ差し掛かります。

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一旦県道へ出て、再び(さらに険しい)山道へとへんろ道は続きます。

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開始から1時間、歯長峠到着です。

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峠にはお堂が建てられており、中には歯長峠の由来について書かれた看板が設置されていました。
この道は昭和初期まで生活道として使われていたとのこと。当時は茶店などが並び賑わいを見せていたそうです。
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小休止の後、下山。峠から少し下った西予市境が今回の清掃活動の終点です。

3名の研究員は最後尾であったため、用意したごみ袋を一杯にすることはありませんでしたが、およそ1時間強の清掃活動で、軽トラック1台分のごみが集まりました。

前日開催されたフォーラムで「汗をかく活動」が承認され、その第一弾として速やかに開催された今回の清掃活動。
文字通り大汗をかきながら、清掃活動より歩くことに必死だった1時間でしたが、へんろ道文化に触れ合う貴重な経験をさせていただきました。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 坂本 耕紀)

「三本の矢」の「的外れ」へんろ道中日記

なんともわかりにくいタイトルをつけてしまいましたが、今回6月16日(土)・17日(日)に宇和島市三間町にて行われた「へんろ道文化」フォーラムの番外編と思っていただいて、ご覧ください。

1.毛利家住宅

6月16日(土)、三間町を訪問した松本、坂本、谷本の3名の研究員は、松山から一路、宇和島市三間町へ。到着予定時刻よりもやや早く三間町に到着したこともあり、三間町是能(これよし)地区にある「毛利家住宅」を訪ねました。

毛利家概観

※見事な茅葺きの屋敷です。

この「毛利家住宅」は、宝暦3(1753)年、当時の毛利家初代当主、甚臓(じんぞう)が創建した茅葺き寄棟造りの屋敷で、吉田藩是房(これふさ)村庄屋「毛利家」の住宅として使われたものです。
この毛利家住宅は江戸時代の農村文化建築をその姿にとどめており、学術的にも非常に価値がある建造物とされており、屋敷が林と林の谷にあることから、別名「林間亭」とも呼ばれています。
現在、毛利家住宅を農村文化の象徴として保存活用していくために、さまざまな展示会や体験イベントが行われているそうです。ちなみに、宇和島市のHPにもこの「毛利家の体験レポート」がありますので、参考までにご覧ください。
 

「宇和島市UJIターン情報」

 

2.道の駅みま

さて、毛利家住宅を見学した後、「3本の矢」はフォーラムが開催される「三間コスモスホール」ではなく、「道の駅みまコスモス館」へ向かい、昼食をとることにしました。さっそく「三本の矢」が「的外れ」な方向にいっているとのご指摘があると思いますが、ごもっともでございます(笑)。

道の駅みま

※道の駅みまコスモス館

ここの目的は、「昼食バイキング」。大人1名につき750円というなんとも庶民の味方のようなリーズナブルバイキング。松本研究員と坂本研究員はあまりのおいしさに「おかわり」をしておりました。
研究員おすすめの「昼食バイキング」がある「道の駅コスモス館」、三間町へお越しの際はぜひお立ち寄りください。詳細はこちらを参照してください。

「宇和島市観光協会」HP
http://www.uwajima.org/special/vol6/cosmos1.html

 

3.第42番札所佛木寺 

フォーラム、清掃ウォーキングについては松本、坂本研究員が報告いたしますので割愛することとして、ここからは「まちづくり活動部門の研究員」なりの「おへんろ文化の味わい方」ということで、岡崎直司さんのブログでも紹介されているような「タウンウォッチング」という切り口で、今回は42番札所「佛木寺(ぶつもくじ)」をご紹介します。
本家本元の岡崎さんほどにはならないかもしれませんが、単なる信仰の対象としての寺ではなくて、こういう遍路寺の味わい方はいかが?というご提案です。

 

①伊達家の家紋もあります

伊達家の家紋

本堂には伊達家の家紋(左:竪三つ引両、右:九曜)が刻まれています。江戸時代の三間地方を治めていたのは伊達家(伊予吉田藩3万石)ですから当たり前といえば当たり前の話ですが。

ちなみに、佛木寺の由来などの基本情報は、こちらをご参照ください。

「宇和島市観光協会」HPより
http://www.uwajima.org/special/vol7/butsumokuji.html

 

②仁王門と1対の仁王像

仁王門

※佛木寺の入口にある「仁王門」

左側 右側

「仁王像(左が吽形、右が阿形)」

「阿」とは「生命の誕生、物事のはじまり」という意味があり、「吽(うん)」とは「生命の死、物事の終わり」という意味があり、それを表現していることになります。お互いの気持ちがよくわかることを「阿吽の呼吸」といいますが、それはここからきており、「阿」が吐く息、「吽」が吸う息のことをさします。大きな寺にはこのような「仁王門」があることが多く、その左右1対の仁王像を見ると、口をあけている像(阿)と口を閉じている像(吽)があるので、見比べて観察してみましょう。

なお、この「阿吽=人間の生と死」という概念は、もともとは仏教の呪文(真言)に由来するものですが、これは何もお寺に限ったことではありません。神社の本殿などの飾りのある彫り物にも「阿吽」の概念があり(たとえば狛犬など)、このあたりに「神仏習合」の名残を感じることができます。

また、空海の教えは「真言宗」といいますが、それはこの呪文という意味の「真言」という言葉からきています。高校日本史の勉強にぴったりの教材ですね。

 

③境内にある手水鉢(ちょうずばち)

手水鉢

※石には「寛政5年」という年代が刻まれている

この石は境内にある手を洗うお鉢、いわゆる「手水鉢(ちょうずばち)」です。ここで注目したいことは、これが奉納されたとされる年代が寛政5(1795)年と刻まれていることです。

この年は、当時、佛木寺のある三間地方を治めていた吉田藩で、武左衛門一揆(吉田騒動)と呼ばれる大きな「百姓一揆」があった年で、一揆の内容については割愛しますが、宇和島周辺地域の郷土の歴史を語る上では絶対に欠かすことの出来ない非常に歴史的に重要な出来事です。

そのような地域の歴史に大きな影響を与えた出来事があった年にこの手水鉢が奉納されたということは、当時の地域社会がたいへん不安定になっており、それを仏の力をかりて世の中を安定させたいという当時の人々の思いが込められていたのかもしれませんね。

 

④茅葺きの鐘楼(しょうろう)

鐘楼

※茅葺きは珍しい

この42番札所「佛木寺」には四国霊場88ヶ所の中では唯一のものがあります。それが「茅葺きの鐘楼」です。必見です。

 

⑤境内にある愛すべき動物たち

獅子 シャチと犬 獏
※飾り瓦と彫り物

鬼瓦
※鬼瓦

神社仏閣を訪れると、屋根には「飾り瓦」と呼ばれる動物(空想上の生き物を含む)の形をした「瓦」や、建物の中にも動物がかたどられた「彫り物」があったりします。お寺や神社を訪れた際は、ちょっと立ち止まって見上げてみましょう。この上の写真にはどんな動物がうつっているでしょうか? ちょっとかわった動物たちがあなたを迎えてくれるかもしれません。

ちなみに、飾り瓦とは「鬼瓦」に代表されるように、もともとは「魔よけ」の意味を込められて設置されていましたが、だんだんと「飾り」の要素が強くなってきており、今ではひとつの「アート」として成立しています。ちなみに、愛知県高浜市では「飾り瓦コンクール」なるイベントも開催されています。

以上簡単でしたが、第42番札所「佛木寺」の歴史文化的アプローチによる「ウォッチング」でした。みなさんもぜひ、普段何気なく身近にあるところを訪ねてみてください。ちょっと視線をかえて見ると、そこには違う世界が見えてくるかもしれません。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)