10月14日(日)に、高知県本山町にあるプラチナホールというところで開催されました「いなかインターンシップ報告会」に参加してまいりました。
それで、筆者ははじめて来た場所ということもあり、予定開始時刻より到着時刻が早かったので本山町をちょっと探検しました。
この本山町は、高知市から北に約20キロの四国山地の中央部に位置し、人口4300人ほどの山間にある町で、高齢化率は37.9%という典型的な少子高齢化がすすんでいる町です。おもな産業は農林業で、しいたけ・しそ・ゆずなども特産品となっているようです。
また、この本山町は小説「婉(えん)という人(高知藩の家老職をつとめた野中兼山の娘)」でも知られる大原富江(1912-2000)の故郷として、町には記念館なども建てられており、大原富江の書斎などが再現された展示室もあります。
※大原富江記念館(入場料大人300円)
その後、町内中心部を探検・・・いやいや散策してみました。
※本山町役場(左)と中心商店街(右)です。ほとんど人を見ることが出来ませんでした。歩いていると、銀行の支店も統廃合により撤退しており、そのあたりに地域の現状をうかがい知ることができたように思います。
※商店街にはレトロな看板やちょっと渋めの旅館などもあり、もうちょっと探検すると面白いかもしれないなあと思いました。
さて、今回取材した「いなかインターンシップ」とは、高知市にある出版社「南の風社」さんが実施しているもので、夏休みなどを利用した1ヶ月以上の長期のインターンシップで、その活動場所を高知県の山間の地域である「れいほく地域(大豊町、本山町、土佐町、大川村、旧本川村)」をフィールドに行うものです。
また、長期のインターンシップは、短期のそれとは違い学生にとっては人間的成長を見せるチャンスの拡大、受け入れる地域としては若者との交流人口の拡大による「地域活性化」というメリットがある反面、派遣される学生の側も、そして受け入れる地域の側もリスクが伴うために、それを解消させてお互いが「Win Win」の関係になるためのコーディネーター役ともいえる「中間支援の団体」が間に入っていることがその大きな特徴です。
愛媛県ではNPO法人Eyesさんがその中間支援のコーディネーター役として活動をされていますが、この高知県の「いなかインターンシップ」では「南の風社」という高知市にある出版社が担当しています。
また、愛媛や高知以外にもこういう中間支援組織があり、もともとは経済産業省の「若者の起業やチャレンジをうながすための事業」の委託を受けたNPO法人ETIC(東京都)さんがそのはしりといわれています。
さて、この日に行われた「いなかインターンシップ報告会」では、今年の夏におよそ30人の学生が11のプログラムで行われたインターンシップの報告が行われました。
※報告の様子(この日参加した学生は60人ほど)
※交流会の様子(ちょうど九州大学の学生さんが感想を言っています)
どの取り組みも非常にユニークな取組が多く、学生さんの人間的な成長や受け入れた側の企業、行政からのコメントなどが寄せられて、たいへん活気がある事例が多かったように思います。
報告会の運営そのものについてはパワーポイントが後ろの人には見えにくい文字やイラストをつかっていたなどの注意点などもありましたが、特にさほど気になるようなものはありませんでした。
それで取材してみて、さまざまな傾向や課題があることがわかりました。
1.男子学生より女子学生のほうが圧倒的に多い
今回の「いなかインターンシップ」にチャレンジした学生の7割くらいは女子学生でした。理由について「南の風社」の方にお聞きしましたがはっきりとした理由はわかりませんでしたが、女子学生のほうがまじめに将来のことを考えている学生が多いのかもしれません。
2.他県出身者が多い
ようく学生さんのネームプレートを観ていると、そのほとんどの学生さんが「高知県出身ではない」という事実に気がつき、南の風社の方にお聞きすると、高知大学は全国の地方大学では珍しく地元出身者が2割しかいないところであるとの回答をいただきました。高知県の若者が地元志向ではないという気質が一部としてあるということがうかがえます。地元の若者が地元に残らないというのはある意味において課題でもあるように感じました。
3.いなかでも長期インターンシップはできるが…。
このフィールドとなった「れいほく地域」は高知県の中心部から車でなければあまり通うことができない地域です。したがって、メインは学業がない夏休みや春休みをつかって実施されるわけですが、ネックになるのは学生の宿泊先と食事です。そのため、この「いなかインターンシップ」では旅館やロッジなどの宿泊施設で働く事例が多かったようですが、そうではない受け入れ先ではかなり通勤に苦労しそう(交通手段がバスしかなくてしかもそんなに便数もない)な印象を覚え、地方でインターンシップを受け入れしようとしてもそういう宿泊施設がないところでのインターンシップはかなり学生にとっても金銭的な負担が大きいように感じました。そこをどうクリアするかが課題のように感じました。
4.もう少し地域を巻き込む形を
これは高知県の職員の方も述べられていましたが、この報告会の学生以外の一般参加者は受け入れ先の企業関係者の方ばかりであり、せっかくいい取り組みをしているのだから、自分たちがインターンシップに入っていった地域の住民に対して、「自分たちはこういう取り組みをしました」という報告会をするのでぜひ聞きに来てくださいといった、地域を巻き込む形を見せることができれば、またひとつ違ったステージにあがるのではないかと思いました。
しかしながら、最後の交流会で感想を述べる時間があり、自己紹介と共にひとこと感想を申し上げた後に、何人もの学生さんが私のところにやってきて、「まちづくりに興味があって勉強をしているんで、名刺をいただけますか?」「研究員ブログさっそく見ます!」と話しかけてきました。こんなにまちづくりに熱い学生が多いとはと感心しきりでした。高知、かなり熱いです(笑) 愛媛の学生も負けていられませんぞ。
いずれにしても、「わかもの、よそもの、ばかもの」といわれる地域づくりの要素をうまく取り入れたプログラム事業であり、田舎が生き残る道の一つとして「交流人口の増大」という意味においても、今後の地域づくりに生かすことのできる可能性を感じさせることは間違いないでしょう。
今後は、この事例は大学側から見た場合の事例ですが、逆に大学の地域貢献とあいまってインターンシップを活用した地域づくり活動をしている地元側の視点も調査してみたいと考えております。
ちなみに、余談ですが、高知大学ではこの長期インターンシップを実践した学生には最大で14単位を認定しているそうで、全国的にもたいへんユニークな取組だそうです。愛媛県内の大学でもいずれはそうなるかもしれませんね。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)
現在、毎週水曜日に朝日新聞の地方版で連載されている「若者よ、ベンチャーを目指せ」。これは松山大学経済学部が朝日新聞松山総局と連携して実施している市民開放講座の様子を紹介している記事です。
筆者もこの講座に何回か参加しているのですが、10月10日に行われた講座では私の大学の先輩が講師ということもあり、それはやはり行っておかなければならないだろうと勝手に思う(笑)とともに、前回講座に参加してから学生さんがどれくらいビジネスプランを練り上げているのかも気になりましたので出席してみました。
今回の講師は、パエッセ合同会社の代表をされている佐俣一志さん。起業したばかりや会社を興してあまり期間が経過していない若い会社を中心としたビジネス支援をおもにされており、現在は株式会社アドメテックという愛媛大学発の医療関係のベンチャー企業でビジネス支援担当の業務統括部長をされています。
今回の講義では、「ビジネスコンセプトとは何か?」ということで学生さんたちに講義がありました。
講義では、ビジネスのメカニズムとして以下の流れがあると述べられていました。あわせてハイブリッドカーで例をあげています。
①観察、気づき
↓(例)排気ガスが環境に悪い
②事業アイディア
↓(例)電気自動車にすれば排気ガスがでない
③ビジネスコンセプト構築
↓(例)環境に優しい車に乗ろう
④ビジネスプラン策定
↓(例)どういう工程で車をつくるか、誰がつくるか。価格は?
⑤ビジネスの実行
↓(例)ハイブリッドカーの販売
⑥収穫
↓(例)売上
ふたたび収穫の反省を生かして②~⑤にもどる
佐俣さんは、「ビジネスは、社会的にある問題点(たとえば不便さとか)を源泉としてあり、それをアイディアをもって克服、解決して儲けるということであるが、それを広く人にわかりやすく伝えるための作業が必要になってくる。その人に伝えるための作業そのものこそがビジネスコンセプトである」と述べられていました。
受講した学生さんたちも、ベンチャービジネスというものを通して、こういう物事の奥にあるものを探るという作業(=仕事の哲学とでもいうのでしょうか?)を行うことはたいへん重要だと思います。
筆者も行政職員ですので、自分たちが今担当している仕事をどうして今やる必要があるのか。その業務の裏にはどういう背景があるのかということをしっかりと理解したうえで業務にあたりたいものだなあと思った次第です。
いずれにせよ、学生さんたちが練り上げたビジネスプランが年度末にどのような形になるのか、今から楽しみです。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)
去る8月25日(土)午後6時30分から、上浮穴郡久万高原町のふるさと旅行村で「古民家でジャズと日本酒を」が開催され、町内外から約80人が訪れました。
私にとって町GT協議会の事務局である久万高原町産業振興課が前任部署ということに加えて、古民家とジャズという、ある意味異色の組み合わせがどのようなハーモニーを奏でるのかに興味もあって参加してきました。
このイベントは、自然をはじめとする久万高原町の魅力に触れてもらおうと、昨年12月に発足した「久万高原町グリーンツーリズム(GT)推進協議会」が手がける初めてのイベントです。
初開催にも関わらず、その手際の良さに驚かされましたが、町内で農家民宿を営んでいる方や、久万農業公園のクラインガルテン(市民農園)利用者、Iターンされた青年農業者など、協議会を構成する町内外の多様なメンバーの創意工夫・入念な打合せによって成り立っており、この催しを何とか成功させようという、協議会メンバーの強い意志が伝わってきました。
さて、会場となったふるさと村の「渡邊家」は明治12年建築(築128年!)、わら葺屋根の風格ある佇まいが特徴の古民家です。
当日は久万高原町GT協議会のアドバイザーを務めていただいている香川大学の原直行助教授のお計らいで、沢山の学生さんが準備から運営、後片付けまでご協力いただきました。
ご馳走の登場!
※久万高原町産にこだわった、高原の自然に育まれた魚や肉、野菜をつかった料理に舌鼓を打ちました。
地元の酒造会社が限定で用意した3つの味が楽しめる日本酒セット
”利き酒”気分で楽しめました。
もうひとつのご馳走、松山を拠点に活動するアマチュアバンド「グレッチ」によるジャズ演奏です。迫力ある、そして心に染みわたる演奏に参加者は聞き入り、ときには全員で手拍子を送って盛り上がりました。
およそ2時間ほどのイベント、意外な組み合わせに思えた「古民家とジャズ」ですが、涼しい風が吹き抜ける古民家での演奏は、初体験の音響効果(独特の雰囲気)があり、山の幸をふんだんに使った料理とともに、非常に満足感の高いイベントでした。
松山から参加された女性の方に、次回開催への参加希望をお聞きしたところ、「美味しいお酒と料理、心のこもったもてなしに感激しました。次も必ず参加します!」との言葉をいただきました。
最近よく目にするライトアップ、空港の滑走路をイメージさせる演出です。今後のGT協議会による取り組みが、文字どおり久万高原町の「未来へ続く滑走路」になりそうな予感を感じた、夏の夜のひとときでした。
なお、本イベントに関するご意見や、次回開催の予定などは久万高原町役場産業振興課までお問い合わせ下さい。
電話 0892-21-1111(同課 農業振興班)
(文責 まちづくり活動部門 研究員 坂本 耕紀)
去る9月4日(火)愛媛大学防災情報研究センター主催により愛媛県民文化会館真珠の間で開催されました。
まず、「地震災害から命を守る」というテーマで内閣府参事官(地震・火山対策担当)菊池良介氏が基調講演され、第二部は、防災教育、要援護者支援、事業継続計画(BCP)、防災地図、災害伝承について事例紹介され、それぞれの発表について行政の長や担当者から貴重なコメントをいただきました。今回は、基調講演の内容を紹介します。
【基調講演の要約】
「地震災害から命を守る」 東南海・南海地震対策のポイント
わが国は、環太平洋地震帯に位置し、地殻変動が激しく地震活動が活発。世界のマグニチュード6以上の地震の2割は日本周辺で発生しています。地震は、日本列島の太平洋プレートと陸側のプレートとが引き起こし周期的に発生するプレート型と、内部の活断層が活動して発生する直下型とに分類できます。なお、日本全国にわかっているだけでも活断層は、2,000以上あり直下型地震は、いつでもどこでも発生する可能性があります。
政府として、東海地震、東南海・南海地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震と首都直下地震、中部圏・近畿圏直下型地震への対策を講じています。
特に今世紀前半での発生が懸念されている東南海・南海地震については、関東から九州にかけての広域防災対策を早急に確立していく必要があります。
そのためには、わが国の地震防災に関する法律体系を整備し、地震対策に関する計画フローに沿って、今後10年間で被害を半減する目標を立て防災戦略や応急対策活動要領などを計画しています。
また、地震発生に伴う津波についても予報の精度向上、避難勧告・指示の住民への的確な伝達、避難場所・避難路、堤防の整備、津波に備えた訓練・啓発などを実施しています。
津波から生命を守るためには、揺れたら、勧告・指示に従って安全な場所へ自らがまず逃げることであります。
続いて、先日発生しました新潟県中越沖地震の現地状況を紹介します。
今回の直下型地震では次のような特徴が見られました。
第一に、あちらこちらで液状化現象が見られ多くの家屋、歩道、下水道などが被害を受けました。
第二に、能登半島地震では、比較的同じ地区内に倒壊家屋の被害が集中する傾向がありましたが今回の地震では、同じ町内でも、無傷の建物と完全に倒壊した建物と混在している地区が多く見られました。
次に避難所を視察して感じたことは、マスメディアで紹介されない地域の避難所は、場所により待遇に大きな差が出ていました。
また、公共施設(特に学校)避難所の耐震化が遅れているため避難所として利用できないところもありました。
ホテルや民間施設を避難所として利用できることが周知徹底されていないため有効に使われませんでした。
飲料水は、援助物資などで十分確保されていましたが、トイレや洗濯などの生活用水の確保ができていなかったことが今後の課題となりました。
トイレの絶対数が少なかったため不便を感じました。
また仮設トイレは照明がないため夜間の使用は不便なことがわかりました。
災害用の備蓄医薬品の使用期限が切れていたため使い物になりませんでした。
今後、以上の教訓を活かして避難生活の見直しを行うとともに、災害被害を軽減するためには、地域の人たちの防災力が重要であることを再確認しました。
「天災いは忘れた頃にやってくる」の諺があるように、いつ・どこでも・どんな災害に見舞われるかもしれません。大切な命や財産を守るために、日頃から個々の防災に対する意識を高め、地域内のコミュニティを活発にして、地域ぐるみで「自分たちの町は自分たちで守る」という自主防災活動が大切ではないでしょうか。
(文責 企画研究部門 研究員 秋山照彦)
去る8月23日(木)ジョブカフェ愛work主催により松山全日空ホテルで開催されました。北川正恭氏は、皆さんも良くご存知のことと思いますが、政権公約としての「マニフェスト」を提言し、三重県知事在任中は、地方分権の旗手として活動。現在は、早稲田大学大学院教授をなされるなかテレビ報道番組ではコメンテーターとして活躍されています。
今回は、三重県知事時代の取り組みについて講演されました。
【講演の要約】
まず、1868年までは幕藩体制による地方分権が確立されており、人口は、石川県は183万人で全国1位、愛媛県は144万人で第3位と各地方に分散されていました。しかし、維新政府は「富国強兵」「殖産興業」をスローガンに近代国家建設のために、中央集権化による政府の地方支配強化を推進してきました。その結果、現在のような中央一極集中となっております。
しかし、1985年のプラザ合意以降、低金利政策による景気の過熱があり、その後バブル崩壊、産業の空洞化が始まり約10年間は、中央集権制度で努力しましたが、構造改革などにより地方産業の衰退、雇用への悪影響など地域間格差が見られるようになりました。
最近では、夕張市の財政破綻があります。国の政策が石炭から石油にエネルギー転換されたことにより「炭鉱から観光へ」の町づくりを行いました。これが財政を圧迫し、今後18年間で約350億円の負債を17,000人の住民で返済することとなりました。補助金行政から自立しなければいけないと思います。
ここで、地方を元気にするために三重県で取り組んだ事例を紹介いたします。まず、行政改革ですが、政策を策定するときに前例主義をやめて、マネジメントサイクルを取り入れ、知事が県民と約束したビジョンをトップダウンで施策に、基本事業に、事務事業に落とし込み進めていくことにしました。こうすることにより、やっている仕事の評価ができます。これを「価値前提主義」と呼んでいます。これを徹底していけば、ビジョン達成に貢献したかどうかによって、予算、組織、定数、人事を評価することができます。地方財政が厳しいなか、これからの地方行政には価値前提に立った政策推進が必要だと思います。
次に、トップセールスによりシャープの工場建設を積極的に誘致したことです。亀山市とあわせて135億円の補助金を提供しました。この企業誘致で12,000人の雇用と9,000億円の生産額を実現することになりました。公金を動かすときは、情報公開を徹底すれば問題はないと考えています。
これからは、地方分権の時代であります。地方が変わるために、今までの思い込みを棄て、行政の目線から市民の目線へ変える必要があると思います。
今回の講演で個人的に感じたことは、国への依存から脱却して地方が自立する時代を創らなければならない。地域が生き残っていくためには「ないものねだり」をやめて「あるもの探し」をしていくべきだと思います。地方で行う「ある物探し」は、地域の特性に合わせて何かしらアイデアを生み出す「人材=お宝」が重要ではないかと考えます。
(注)プラザ合意:1985年9月22日、アメリカ合衆国ニューヨークの「プラザホテル」で行われたG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レートに関する合意。
マネジメントサイクル:計画(PLAN)、実行(DO)、評価(CHECK)、改善(ACT)の4段階を順次行って一周したら、最後の改善を次の計画につなげて、継続的な業務改善をしていくこと。
(文責 企画研究部門 研究員 秋山照彦)