いまさらになってだが、この4月にやってきた「まちづくり活動部門」の市町派遣の研究員を紹介したい。
松本 宏(まつもとひろし)研究員
※伊予市(旧双海町)より派遣
坂本耕紀(さかもとこうき)研究員
※久万高原町(旧美川村)より派遣
谷本英樹(たにもとひでき)研究員
※宇和島市(旧宇和島市)より派遣
の以上3名であるが、偶然にも3名の職員にはある共通点がある。それは、3人とも苗字に「本」という文字がつくのだ。せっかく3人とも「本」という言葉がつくので、「本」をつかってわかりやすいキャッチフレーズをと考えて出てきたのが、
「三本の矢」
である。3人一緒で名刺交換などをさせていただく機会では、
「三本の矢でがんばりますのでよろしくお願いします」
と、にこやかになるべく言うようにしているのだが、よくよく「逸話の内容」を考えてみると、この「三本の矢」は誤解される恐れもあるなと感じた。
結論にいく前に、この「三本の矢」の逸話そのものについて、簡単に説明しておこう。
「三本の矢」の逸話とは、戦国時代に中国地方の武将である毛利元就が、3人の息子に対して、1本の矢では簡単に折れるが、3本だとそう簡単には折ることが出来ないことを通して、「一人一人で物事を行うよりも、協力して行う方が、大きな効果を得ることができることの大切さ」を説いたというものである。
ちなみに、余談話であるが、実はこの逸話は「作り話」であって、原話は「イソップ物語」であることはあまり知られていない。話の中身はほとんど一緒なのだが、父親が息子に渡すのが「矢」ではなくて「棒」になっている。このイソップ物語が原型となって「三本の矢」の逸話が生まれたのである。
やや、話が横道にそれてしまったが、逸話の例をよくよく考えてみると(うがった見方かもしれないが)、「1本の矢では折れるけれど、3本の矢だと折れない」ということは、「3本集まってはじめて1人前」ということにもなるのではないかと思ってしまうのだ。
ということは、逸話どおりになってしまうと「一人だと折れてしまう」ことになってしまうことになり、その人は「1人では頼りない」ということの裏返しでもある。そうだとすると、なんだか今度の研究員さんは頼りないなあと思われてもいけない。
というわけで、「1本でも折れないようにし、3本なら絶対におれない矢」を目指しての「三本の矢」ということでがんばりたいと思っているので、「三本の矢」をみなさん温かく見守っていただきたい。
ただし、「矢」だけに飛ばしたら三本の矢とも「的外れな方向」にいくかもしれないのだが。お後がよろしいようで(笑)
(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)
6月9日(土)高知県馬路村で第5回全国まちづくり交流会が開催されました。
この交流会は、2003年愛知県足助町(当時)で足助町観光協会AT21倶楽部の設立10周年記念式典に、同倶楽部と日頃から交流の続く全国の地域づくり団体が集ったことをきっかけに、「全国まちづくり交流会」として、第2回は与論島、第3回は阿波勝浦、第4回は北海道オホーツクの地で開催してきたそうです。
第5回の交流会は馬路村活性化推進協議会が主催し、「村には価値が生まれる」のテーマで、人口1,114人の高知県馬路村で開催され、全国各地から90名もの参加がありました。
馬路村上治村長から歓迎のあいさつがあり、「村がブランドになるような地域づくり」を目指した実践の紹介がありました。特に興味深かったのが馬路村を応援してくれる「特別村民」制度を導入していることで、交流人口が35万人にまで増えてきているそうです。この人口は、高知市の人口に匹敵し、いかに元気な村かが窺がえました。ちなみに「特別村民」は、馬路村に行けば村長室で「ごっくん馬路村」が飲めるそうです。
※村長さんと特別村民に送付される広報誌「こうほう馬路」
続いて、馬路村農協組合長の東谷さんから「馬路村農協の取組」が報告されました。ご存知のように東谷さんは、今日までのゆずづくりや商品開発、販売の仕組みづくりなど20年にわたる活動の中心的役割を果し、馬路村のイメージを作り上げた村おこしのリーダーです。 東谷さんたち馬路村農協の取組をスライドを交えながらお話いただきました。「ごっくん馬路村」などゆず加工品の売上は33億円を超えたようで、まだまだ進化し続ける馬路村農協のパワーに圧倒されました。
※東谷組合長は夜の部も先頭で引っ張っていました。
続いて基調講演があり、「沈む夕日でまちづくり」をしてきた愛媛県双海町(現:伊予市双海町)の取組を人間牧場オーナーの若松進一さんが熱く語られました。オープニングでは寅さんばりのDVD紹介もあり、笑いの渦となった講演は、時間の経つのも早く、若松節炸裂・得意のハーモニカ披露と会場の参加者は若松イリュージョンへ引き込まれていきました。笑いの中にも、まちづくりを行う上で大事な「楽しいこと」「新しいこと」「美しいこと」の3つのキーワードを遺し、講演を締められました。
※人間牧場主の若松さん
その後、参加者からそれぞれのまちづくりやイベントのPRが行われました。来年の開催地の発表もあり、第1回に開催した愛知県豊田市足助で再び会う約束をして会を閉じました。
※「かがり火」編集長の菅原氏からも最近のまちづくり事情が報告されました。
前夜祭、大交流会と2日間続けての宴も催され、馬路村のうまいものに酔いしれた(お酒にも随分酔いましたが・・)交流会でした。
※安田川天然レストランでの前夜祭
若松進一さんのブログでも、この全国まちづくり交流会の様子を伝えています。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 松本 宏)
6月9日(土)に愛南町僧都川河口(南レクプール付近)で、「街道灯籠祭り 海街道をゆく」が開催されました(主催:街道灯籠祭り愛南実行委員会)。本来は6月2日(土)に開催されるイベントでしたが、雨による順延の開催でした。
※開催の案内板
本来の日程では、正午過ぎよりボランティア清掃をしてのち、灯籠づくり、灯籠設置、ライトアップという日程でしたが、順延となった9日はボランティア清掃を取りやめということで一部日程を変更しての開催となったようです。
この日のライトアップで使われた灯籠は、竹と和紙をつかったもの。四万十の灯籠は空き瓶、松野町目黒地区のそれは木とダンボール、と各地のライトアップイベントでつかわれる灯籠がすべて異なるというところにオリジナルティーがでていたようでした。
※愛南町の灯籠は、竹を斜めに裁断して、それに和紙でくるんで輪ゴムで留め、麻紐で再度留めて、中にロウソクを置くタイプ。この日用意したロウソクは500個ほどとのこと。主催者にうかがうと、7月、8月の灯籠イベントでは和紙は使わないそうです。今回設置した竹は、御荘中学校、内海中学校の生徒さんたちが地元のボランティアの人たちと協力して制作したそうです。
※この日の灯籠作りには、御荘中学校の生徒さん50名ほどがお手伝いとして参加していました。
さて、午後3時からの灯籠制作が終了したあと、「御荘新四国順路図」を生徒さんに配付したのち、新四国めぐりということでマップを手にしながら「新四国めぐり」をして、自分たちの住む町の風景をあじわっていたようです。
※「御荘新四国順路図」。四国には島四国をはじめとして、各地にミニ八十八箇所廻りがあり、「四国はお遍路文化」という代表的な事例とも言えるでしょう。ちなみに、城辺の新四国順路図もあるそうです。
ただ、この日も、夕方になるにつれてだんだんと雲行きが怪しくなってきて途中から雨模様となり、ライトアップの開催も危ぶまれましたが、ライトアップ準備時の午後7時前には雨もあがり、いよいよ灯籠を設置してライトアップ作業を行いました。
※雨もあがり、夕やけもでてきて、なんとか開催ができるめども立ち、スタッフの皆さんは灯籠を会場に設置していきました。距離は2メートル間隔で、約700メートルの道に500個弱の灯籠を設置して、ロウソクに明かりを灯していました。
※午後7時半すぎには、会場に幻想的な風景があらわれ、少しずつ夜の闇に淡い灯籠の光りが広がっていたようです。左が午後7時30分頃の会場、中央が午後7時45分頃の会場、右が午後8時過ぎの会場。
来場した人にお話しをうかがうと、「きれい」という声や、「時間がゆっくり流れるように感じて、癒される」といった声がきかれ、なかなかの好評イベントだったようです。 主催者のみなさん、雨の中たいへんおつかれさまでした。
この愛南町のイベントについてのお問い合わせは、同実行委員会(地域交流センター プラザ城辺内:TEL&FAX 0895-73-2288)まで。また、愛南町ではこの灯籠イベントを7月、8月にも会場を別にして予定しています。お近くの方、興味のある方、癒されたい方、愛南町までお越しになってみては。詳しくはこちらのサイトを参照してください。
なお、この愛南町の「街道灯籠祭り」を実施している同実行委員会は、当センターが実施している「まちづくり活動アシスト事業」の平成19年度助成団体となっています。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)
2007(平成19)年5月30日付の愛媛新聞に「JAが次々と直販所~たくましい変身ぶり~」ということで、愛媛新聞月岡記者の記事が掲載されていた。以下はその記事の抜粋・要約したものである。
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ちまたに「地産地消」があふれている。本来は文字通り、地元で採れた農産物を地元の消費者が食べるという意味だが、「地元」とはどこまでを指すのか。今治のスーパーに、西条の野菜や八幡浜のミカンを並べて「地産地消」と言われても、連和感を禁じ得ない。
もうーつの違和感は、JAグループが最近になって「地産地消」を掲げていること。JA直営の大型直販所が次々に誕生しているが、JAグループの流通形態はほんの七、八年前まで、地産地潤とはまったく正反対だった。価格が乱高下する市場への出荷を避けて、自ら販路を開拓し産直え志す農家もいたが、JAをはじめ、市場関係者の視線は「統制を乱す」と冷ややかだった。直販所も同様。〝先駆的″だった農家は「あんなくずものまで金にしようとして、せこい」と陰口をたたかれた。それが今では、JAが直販所を開設し、出荷農家から手数料を取る時代。一部では管轄エリア外に出店する〝縄張り荒らし″まで起きている。「時代の要求」と言われても、過去に押さえつけられた農家は納得しがたい。その変身ぶりは、つくづく「たくましいなあ」と感心してしまう。(今治支社編集部長・月岡俊之)
(2007(平成19)年5月30日付愛媛新聞記事より一部抜粋・要約)
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かつて、愛媛新聞に「身土不二」と題する連載を執筆し、農業をはじめ第一次産業の現状と新たな道筋を示す人達を取材し、警鐘をならした月岡記者ならではの批評であり、感慨深いものがある。せめて、私だけは彼の言葉に耳を傾け、この批評を肝に銘じたい。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 清水和繁)
6月3日(日)「四国へんろ道文化」世界遺産化の会が主催する「四国へんろ道文化フォーラム@東京」が東京・吉祥寺の前進座劇場で開催されました。前日のお遍路パフォーマンスの効果があったのか、120名もの参加があり、なかには愛媛出身新潟在住の方や遍路傘を持参されている方など多くの人に集まっていただきました。
今回のフォーラムは、テレビ、雑誌などで「四国へんろ」が数多く取り上げられ、巡礼者も増えてきている昨今、“なぜ、いま、「四国へんろ」なのか”“IT化、リストラ、社会不安、核家族化、高齢化、いじめなどと関係あるのか”を、何らかの形で「四国へんろ」に関わってこられた方々にお話していただき、「四国へんろ」を一緒に考える機会を提供したものです。
テーマに「心の文化遺産『四国へんろ』」~その「癒し」「お接待」「交流」「自然」を語る~を掲げ、当日前進座劇場でみかん一座が行うミュージカル「夢へんろ」と同じ会場で、公演終了後開催されました。
※ミュージカル「夢へんろ」のワンシーン
会場の準備は、前日のお遍路パフォーマンスに参加された方や朝一番の飛行機で愛媛から駆けつけた世界遺産化の会のメンバー、そして、みかん一座のスタッフで行いました。受付では、お接待として愛媛のみかんジュースも提供されました。
世界遺産化の会代表である四国霊場五十八番札所仙遊寺住職の小山田憲正さんがコーディネーターを務め、パネリストに元朝日新聞論説委員の辰濃和男さん、NHKドラマ・チーフプロデューサーの鈴木圭さん、映画プロデューサー・作家の増田久雄さん、みかん一座座長の戒田節子さん、三味線奏者の月岡祐紀子さんの5名の方々がご登壇されました。
※小山田代表とパネリストの皆さん
辰濃さんからは自身が3度体験した歩き遍路のことを、鈴木さんからはお遍路ドラマ「ウォーカーズ」をプロデュースしたことを、増田さんからは仙遊寺の宿泊体験から“再起動”に注目したことを、戒田さんからはミュージカル「夢へんろ」のことを、月岡さんからは若い女性として体験した2度の歩き遍路のことを、それぞれの視点で「四国へんろ」についてあつい想いを語られました。
パネリスト同士の話の投げかけもあったり、客席からの質問に応じたりと、コーディネーター、パネリスト、客席が一体となったフォーラムとなりました。
最後に小山田代表から「はだかの自分に出会えるお遍路を空間として、子どもたちに生き方や価値観を伝えていこう」と呼びかけ、2時間のフォーラムは幕を閉じました。
フォーラム終了後には、12名の方が「四国へんろ道文化」世界遺産化の会へ入会されるとともに、たくさんの方々が署名にご協力いただきました。
世界遺産化の会は、6月16日にも宇和島市でフォーラムを開催するそうです。
詳細はコチラから
また、みかん一座もミュージカル「夢へんろ」を松山市で再度公演されるそうです。
詳細はコチラから
2日間、世界遺産化の会の方々と行動を共にしてきましたが、自分自身も「四国へんろ」について再考できる機会であったこと、多くの方々と汗をかいて活動したこと、そして何より多くの人との出合いがあったことに感謝とお礼を申し上げます。ありがとございました。
(文責 まちづくり活動部門 研究員 松本 宏)