近代化遺産ニュースvol.9

こんちには、研究員の土岐です。

今日のスポットはというと・・・「新田高等高校」!

久々に研究員ブログを更新するので、いつもの感覚忘れそう・・・。

先日、調査でお邪魔させて頂きました(非常に協力的に対応して頂きました)。当日の調査は、愛大の曲田教授、建築士4名、松山市教育委員会2名、センター主任調査員と私の総勢9名(足し算合ってるかな?)。

近代化を担った施設は、何も産業施設ばかりではありません!社会発展のベースは「教育」レベルの向上です。

もっと言うと・・・日本国憲法に定める国民の3大義務として、「教育の義務(26条)」・「勤労の義務(27条)」・「納税の義務(30条)」がありますが、この中で最初にくる条項が「教育の義務」なのです。

さてさて、当日はともかく寒かった!前回12月にした「三崎精錬所」よりも気温は寒かった!・・・でも、ずっと外じゃなかったしー、昼飯も温かかったしーで、「三崎精錬所」よりはマシだったな~。

新田高等学校に近代化遺産があるのか?戦前の建物があるのか?って思ってる皆さん。実はあるのです。

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新田高等学校旧本館(竣工:昭和15年6月18日)。

新田高等学校は、昭和13年6月に新田中学校設立が認可→昭和14年4月6日に開校しました。第1期生は159名。入学志願者は608人と倍率3.8倍だったそうです。

※ちなみに、新田中学校は旧制中学校時代の名称。つまり、新田中学校(旧制時代)=新田高等学校。

私立だから、誰が設立したか・・・新田仲太郎(松山市山西出身)という人です。

ちなみに、新田仲太郎の叔父に新田長次郎という人がいて、その新田長次郎は松山高等商業学校(現:松山大学)の創設者です。

実業家(海運業)だった新田仲太郎が、新田中学校を設立した契機は・・・

時の愛媛県知事より「松山には松山中学校(現:松山東高等学校)と北予中学校(現:松山北高等学校)の2校しかなく、入学志願者の数が急増して収容しきれない。県財政もただちに中学校を増設する余力もない。中学校に行けない少年たちが2,000人もいる。その少年に勉学のチャンスを与える意味で、中学校を設立してもらえないだろうか。」

というのであった。

そこで、独力出資で現在地に設立したのが今の新田高等学校の始りなのです。

古本館

竣工頃の旧本館。

その頃の学校周辺は・・・

古全景

旧本館は一番左上。写真の右側から上側に向かって伊予鉄道の線路が走ってますねー。家もあんまりないなー。

このころ(昭和25・26年)、第3教棟の一角に食堂があって、かけうどん15円。天ぷらをのせると20円だったそうです。安い!

そして、昭和25年3月には、なんと昭和天皇も新田中学校に来たそうです。

・・・ん!?当時と今の写真では旧本館の長さが違う・・・って気付いたかもしれない。

そうなんです、平成4年に移築したときに両サイドを各々2教室分ぐらいカットしてます。老朽化もあり建替えする必要があったのでしょう!

当然、移築するのには多額の費用がかかります。移築して活用するより、別に新築した方が費用もかからなかったそうですが、本校の歴史を象徴する建物ということで、保存することになったそうです。

移築

移築の時は、分解して、現本館場所→今の場所まで50mぐらい引っ張っていったそうです。

新田高等学校旧本館は、今は「たちばな館」という名称で保存されてます。

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また、学校を取り囲む塀も、昭和14~15年頃にかけて、生徒が大可賀海岸から運んで造った当時のままのものです。

今の新田高等学校の生徒数は約1,500人、新田青雲と合わせると約2,100人のマンモス校です。

スポーツは有名ですが、進学に関しても有名大学に多数合格するなど、文武両立の学校となってます。ここ数年の大学合格実績を見ても、東大・京大・阪大はじめ有名大学ズラリです。私にはムリな大学ばかり・・・。

愛媛の教育向上のために、多額の私財を投じた新田仲太郎。郷土に対する熱い思いを感じました。大河ドラマができそうだ!

っということで、また次回をお楽しみに!