研究員ブログ

今治市 来島海峡をのぞむ②~「第2回戦争遺跡保存四国シンポジウムIN愛媛」のご紹介~

 

研究員の崎山です☆

「来島海峡をのぞむ②」ということで、先日の続きです☆

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さて、来島海峡展望館から北側に目を向けると一つの小さな島が!
この島は小島(おしま)という島で、日露戦争当時、ロシア艦隊の来襲に備えて造られた要塞が築かれた所です。
現在も砲台跡、展望司令塔、赤レンガの地下兵舎などが残っています。

またまたお知らせですが、平成23年5月28日(土)~29日(日)に今治市で「第2回戦争遺跡保存四国シンポジウムIN愛媛」が開催されます。
28日にはこの小島を舞台にフィールドワークが開催され、29日は今治市中央公民館でシンポジウムが行われます。ちなみに私も参加予定です。

○「第2回戦争遺跡保存四国シンポジウムIN愛媛」チラシ
http://www.ecpr.or.jp/sakiyama/23.5sensoiseki.pdf

 

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小島への定期船乗り場です。来島(くるしま)、小島(おしま)、馬島(うましま)の3つの島に渡ることが出来ます。

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5月28日のフィールドワークはこの航路で小島に渡ります。
住民の方にとっては無くてはならない生活の足です。                                                   

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小島の隣の島である来島(くるしま)を四国側から撮影しました。
中世に来島村上氏(来島水軍)が城を構えた島として知られています。

島全体が城郭を形成し、まさに自然の要塞です。写真を撮影した時は潮流が緩やかでしたが、時間帯によっては「ここって川?」という状態になります。鉄塔が立っている周辺が本丸跡です。
そういえば以前ボランティアでここの草刈り清掃をしたことを思い出しました。

中世にかけて、来島海峡の速い潮流にもまれた航行技術を駆使し、瀬戸内海の海上交通を仕切った村上水軍。                                                                                                                  厳島合戦や石山合戦などでは他の水軍を打ち破り「海の覇者」として君臨しました☆
しかし、関ヶ原合戦後は豊後(大分県)に移封された来島(来留島)村上氏だけが唯一大名として生き残るのみとなりました。

時代は移り変わり、水軍の時代は終焉を迎えました。                                                                   ただ、高い海運技術と冒険心は人々に受け継がれ、この地域の発展の礎になったのは間違いないのかもしれません。

以上、崎山でした☆