研究員の土岐です。
久々に「近代化遺産」vol.3をアップします。緊張しますね~(自分が)。
今回は『佐島製錬所』です。
先日、「日本鉱業史研究会」が主催する見学会に参加して行ってきました。
『佐島製錬所』は八幡浜港から5㎞ほど沖の無人島「佐島」にあった製錬所で、明治26年に地元有力者の共同出資により操業開始し、大正9年に閉鎖されました。
洋上に製錬所を計画したのは四阪島製錬所(別子銅山)と同様に煙害対策であったようです。
愛媛県における銅山は日本3大銅山の1つで、「東洋のマチュピチュ」とも言われる別子銅山〔あとは足尾銅山(栃木)・日立銅山(茨城)〕が有名ですが、別子銅山とも通じる同鉱床地帯(同じ鉱脈)として佐田岬半島周辺には100以上もの鉱山がありました。
それらの鉱山から採掘した鉱石を製錬する施設として、佐田岬半島には製錬所が3つありました。国の登録文化財にもなっている「三崎製錬所」はじめ、「女子岬製錬所」、そして「佐島製錬所」です。
それでは・・・当時も使われていた船付場に到着。
ただ、波浪で壊滅的な状況になってました。
少し歩くと・・・
広大な鍰捨場がありました。鍰とは、簡単に言えば銅をとった跡の残りカスですかね。叩いてみると、「金・金」・・・あっ間違えた!「キン・キン」と金属音がしますよ。
近づいてみると・・・
中央に道みたいなのがありますね~。当時は溶鉱炉からでた鍰を捨てるための、運搬車用(たぶん一輪車)の道だったようです。
当時の遺構はほとんど残ってませんが、愛媛県が当時、鉱山で非常に栄えたという歴史が十分感じられました。
ただ、佐島は無断では『立ち入り禁止』になってます!・・・ので、佐田岬半島先端付近にある国の登録文化財にもなっている「三崎製錬所」をお勧めします。
ちなみに、この周辺は愛媛県で最初に銀行(二十九国立銀行:八幡浜市保内町川之石)ができたように、鉱山や養蚕業をはじめとして、この地域は非常に繁栄していたんですね~。
ではでは、次回の近代化遺産ニュースもお楽しみに!