研究員ブログ

安居島に行ってきました☆

みなさんこんにちはヽ(^0^)ノ

主任研究員の須山です。

10月前半あれこれ(その1)という題材で書いておいて、その2に続く・・・はずと書いてましたが、

あっちに行ったりこっちに行ったりしている間に、はや11月も下旬に ( °o°)ハッ

しか~し・・・

川渕研究員や土岐研究員がフォローし続けてくれているので、安心して次に進もうと思います。

(完璧に責任逃れですね・・・)

 

さて、 そう言っていては進みませんので、最近の出来事について書いておきたいと思います。

11月16日(水)に移住者の取材のため、松山市の安居島に行ってきました。

安居島ってこんな感じ

   ↓

http://imagic.qee.jp/sima3/ehime/aijima.html

 

移住者である岡崎さんは、2009年の11月から安居島に移住されているのですが、今年4月にお子様が生まれ、島ではほぼ20年振りの子供誕生だったとか(#^.^#)

 

 

当日はお天気も良く絶好の島巡り日和☆

実は、この安居島。交通手段は船なのですが、船の便数が少なくて、通常期は水曜日でないと日中での往復ができないのです。

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ということで、北条の港から船に乗って出発です!

この日の海は、とてもキラキラ輝いていて綺麗でした。

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 その様子を記録に収める崎山刑事じゃなくて研究員☆

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すんごくバズーカー砲も撃てるんじゃないかというくらい踏ん張ってますね~

海は凪いでいるのですが、風は割と強いので踏ん張ってないとこけそうになります。

で、そのような状況の中、私と言えば・・・

 

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 よろけてます(笑)

 しかも、風の悪戯でこんな頭に☆(なんだこの頭は!XーMENか・・・)

 何だか自分じゃないみたいでコワいですね☆

   そうこうしているうちに見えてきました、安居島v(=^0^=)v

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 約35分で到着です。

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 桟橋を渡って初安居島への第一歩☆

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岡崎さんのお家までの途中の道をのんびりと歩いていきます。

もちろん、車は走っていませんよ~。バッチリ歩行者天国なのです。

おうちに到着すると、その横に石碑が立ってました。

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 「大内金左衛門の碑」です。

これは、文化14年(1817年)にこの大内さんという方が入植し、漁港の整備等を行ったとのことで、開拓者として称えられているものです。

今でも残っている家の表札には「大内」の名前が多くありました。

 

入口では、ワンちゃんが優しくお出迎え☆

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 岡崎さんのおうちの前には、何種類かの野菜が植えられています。

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 全てじゃなくてもある程度は、これで自給自足も可能なのだそう。

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 岡崎さんとそのご家族です。(すごく幸せそう~☆)

あと2人お子さんがいらっしゃるのですが、海を渡って北条の中学校と保育園へそれぞれ行かれてたそうです。

お昼時だったということもあり、取材をさせていただく前に食事を出していただきました。

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カレーの上にのっているのは、鯵のつみれバーグと ・・・

 

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さざえでございます☆なんと贅沢~っ☆ 

 

と、食事も終えたところで取材開始っ!

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瀬戸内海の美しさに魅せられて移住を決意されたとのこと。

島の生活って不便じゃないですか?ってお聞きしたのですが・・・

「前に住んでいたところは、本土まで10数時間かかってたので、それから考えたら今の生活は便利なもの」

とのお答え。

便利かどうかの尺度は人によって違うし、そう思えば少し何かが足りないからといってすぐに不便だと感じる自分にとって、すごく羨ましい感覚だなと感じました。

 

岡崎さんのところでは、漁家民宿もされていて、おうちの2階部分を提供しているそう☆

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広~い感じの風抜けのよいお部屋。 

 

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 そして、窓からの眺めは最高~っ!

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 落書き帳も完備でございます☆

≪漁家民宿 おかざきや≫

089-992-4548

予約は1週間前まで

1泊2食で7,000円

だそうです。

みなさんも泊ってみてはいかがですか?

 

取材も無事終了して、ちょっと島内めぐり☆

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宿場通りだったと思われる路地。

 

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神社もあります。

 

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このうにゃうにゃした中に、バケツの中のようなつぶつぶが入っているのだそうです。

(何だったか忘れてしまいました・・・ゴメンナサイ)

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 人の数は少ないけど、その分みんなが集まってくるんですよね~。

で、おこちゃまがぐずり出したところに、島民のおばちゃんがやってきて、ごろごろとバギーを揺らし始めると・・・

 

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 はいっ、ご機嫌よくお昼寝をはじめました。

島のみんなで育てているという感じがすごくいい~っ!

こういうシーンを目の当たりにすると、「人が少ないから過疎だ」なんて考えちゃいけないって思います。

心が過疎になってさえなければ、その地域は元気なんじゃないかと・・・

揺られているバギーを見ながらそう思ったのでした・・・

 

もう少しゆっくりしたかったのですが、帰りの船の時間を逃すとお泊まりになってしまうので、後ろ髪を惹かれながら安居島を後に。

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 ゆっくりと流れる時間を過ごしてみて、また行ってみたいなぁと思ったのでした。

 

【今回のおまけの一枚☆】

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どこを見ているのかわかりませんが、崎山研究員かっこいいでしょ~☆

演歌とか歌いたくなりません???

ということで、ジャーン☆

P1100516(海刑事バージョン)

一日人材力活性化研究会in愛媛…のあとは近代化遺産ニュースvol.6(愛媛県庁の謎を解け!)

皆さん、こんにちわぁ~☆研究員川渕です(^◇^)

いや~ホントに冬が到来してきましたね~(^_^;)朝、起きるのがつらくなってきました…(汗)いやいや、そんなんじゃあか~ん(`´)気合いを入れねば!!!

まぁそれはさておき、本日は先月(まだ先月かい!)20日に開催されました「一日人材力活性化研究会in愛媛」での様子をアップしますのでご覧ください(^_-)

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この日は愛媛県美術館で13時から開催されました☆

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参加者も80~100名ぐらいだったのかな?

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開会あいさつを総務省人材力活性化・連携交流室長の澤田史朗氏が行いました。(澤田さ~ん☆掲載が遅くなりまして申し訳ございません(^_^;)また愛媛に来てくださいね~☆)

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続いて開催地より、愛媛県市町振興課長の進 龍太郎氏が挨拶をされました。

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続いて、総務省人材力活性化・連携交流室課長補佐の田中雄章氏より「人材力活性化」に関する概要説明をしていただきました。

ここでちょっと概要を押さえておきましょうかね~(^^)/

総務省「人材力活性化研究会(平成22年6月~)では、自治体や地域活性化に関わる団体等が、地域の人材を育成・強化する場合の参考として用いることや、各種取り組みの「気づき」となることを期待して、地域で求められる人材像や人材力活性化の取り組みにおける具体的な事例を数多く盛り込んだ『人材力活性化プログラム』を作成されると同時に、学習項目、学習方法、講師、参考文献、現地研修受入先等の学習体系のイメージを示した『地域づくり活動のリーダー育成のためのカリキュラム』も作成されました。(ちなみに、この総務省の研究会委員として愛媛県の前神さんが入ってるんですよ(゜o゜)スゴクないですか?いや~持ってるもんがちゃうとは思ってましたが…(^^))

今回、国としてははじめて『人』に着目されたようで、地域で取り組む時のキッカケに利用して欲しいとの事でした(^◇^)

この『人材力活性化プログラム』及び『地域づくり活動のリーダー育成のためのカリキュラム』については総務省のホームページにPDFにて掲載されていますので、地域づくりの際にお役立てください☆詳しくはこちら→http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/jinzairyoku.html

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続いて、「地域活性化における人材力の活性化について」と題し、慶應義塾大学准教授の飯盛義徳氏による基調講演が行われました☆

飯盛義徳氏のプロフィールはこちら(http://isagai.sfc.keio.ac.jp/profile.html

飯盛義徳研究会の活動としては、

・地域情報化

・伝統産業

・農業&食料

・商店街

・ファミリービジネス

などなど、「地域の元気の処方箋を探求」し、『経営学+ひとづくりの視点』に着目されているようです。

研究会の目的としては、

①人材力活性化の具体的な施策・目標の検討や人材力の相互交流とネットワーク形成の進め方等の検討を実施

②人材力の強化・活性化に取り組もうとしている様々な主体の指針となるプログラムを策定

③人材力活性化の事例の調査等を実施

このような目的の背景には『地域づくりには人材力活性化が不可欠』ということがあるようです。

また、人材力活性化における求められる人材とは…

■多様な個々の人材

・地域に暮らす一人一人がそれぞれに役割を得て、やりがいを感じながら活動する

・リーダーと共に地域活動を楽しみ、自信を持って前向きに取り組むことができる人材

■リーダーの役割を果たす様々な人材

・「地域を良くしたい」という情熱と信念を持った人材

・地域住民の様々な意見を引き出し、まとめ上げることのできる人材

■リーダーを支える人材

・能力、世代などが多種多様な、主体的に行動できる人材

・水平性・公平性を保ち、意見を言いあぐねている人をサポートできる人材

・中間管理職的な役割を担うことができる人材

などが挙げられていました☆

このほか、大学との連携や実際の活動事例など、参加者にわかりやすくご説明をしていただきました(^^)飯盛さん、貴重なお話をありがとうございましたm(__)m

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このあとは、パネルディスカッションが行われ、コーディネーターに飯盛氏、パネラーとして日本大学教授の沼尾波子氏、松山離島振興協会会長の田中政利氏、愛媛大学地域創成研究センター准教授の野崎賢也氏、NPO法人まちづくり支援えひめ代表理事の前田眞氏が「地域実践活動の現状と課題」について様々な意見が出されました☆(実は、今回パネラーである前田先生は、当センターが開催しております「地域づくり人養成講座」の指導講師でもあるんです(^_-))

飯盛氏から「人材がもたらす可能性について、思うことや感じる事」をお題にパネラーから意見が出されました。

沼尾氏は

・走りながら考える(行政の柔軟な発想)

・ビジョンに対する柔軟な方向性をもつ

・人材を育成できるのが地域である

田中氏は

・地域の経済力

・人と人とのつながり=松山市職員

野崎氏は

・「場をつくる」+「人材」→両方必要である。場をうまくコーディネートできるかがカギ。

前田氏は

・地域の人に対し、どうしていくのか

・外から入る人間→試される→ずっと付き合える信頼関係を築かなければ…。

・自分が汗をかかないと分かってくれない

・地域に役立つポジション→『知恵は現場にある』

様々な意見が出され、とても勉強になりました(^-^)皆様、本当にありがとうございましたm(__)m

そんなこんなで研究会も終了~☆

と、この後前神さんによる「愛媛県庁ツアー」が急遽開催されることに…☆私も「おいで」とお誘いを受けたので同行しました(*^_^*)

愛媛県庁の建物といえば…そう!!愛媛の近代化遺産としても有名ですよね?よね?じゃあ、ここは近代化遺産のプロに愛媛県庁の謎を解き明かしていただいちゃいましょうよ~(^O^)/パチパチ

ってなことで、近代化遺産といえば…岡崎主任調査員ですが、あいにく出張のため、最近お弟子さんになられた土岐研究員にお願いしましょう(^◇^)ではよろしくお願いします☆

こんにちは!研究員の土岐です。

愛媛県庁に行ったことある人→↗ハーイ!・・・県庁職員は当たり前でしょ!それ以外で行ったことある人→↗!・・・

っということで、「愛媛県庁舎」について近代化遺産ニュースvol.6行きますよー。

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これこれ。中に入ったことのない人も、外観は見たことあるでしょう!

昭和4年2月完成で、今年で82歳。戦火もくぐり抜けたツワモノです。

愛媛県庁としては4代目。

「坂の上の雲」で有名な秋山好古(兄)も完成を見ていたことでしょう(当時は北予中学校の校長、現:松山北高校)。当時の秋山好古が見た県庁の姿と同じ姿が見れると考えると、何かジーンときますね。・・・っえ?こない!?それは観察力不足かも・・・。

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これは正面玄関ですね~。

愛媛県庁の設計者は「木子七郎」という人物。・・・ってあまり知らない!?今回、重要文化財に答申された「萬翠荘」も設計しました。まさしく名建築家です。

総工費はなんと102万円!うん?・・・乗用車より安い!?そうなのです乗用車よりも安いのです。実は精巧なミニチュア!?

いえいえ、現在の金額に換算すると・・・100~120億円!趣味でミニチュアができる金額ではありません。当然、乗用車よりも高い!(いちいち言わなくても、それは誰でも分かる)

当時の愛媛県予算が約650万円だったので、建設費102万円はその約15%。今の愛媛県予算が約6,000億円だから・・・そう考えると約900億円分!スゴすぎ。今の財政状態ではまず無理でしょう。

そして、愛媛県庁は国会議事堂(昭和11年)よりも古く、知事が執務する庁舎としては全国で3番目に古い庁舎なのです(ちなみに1番は大阪府庁、2番は神奈川県庁)。

太平洋戦争中は空襲を避けるために「まっ黒」に塗られていました。今でもその跡が良く見たら残ってる・・・!?

では、さっそく正面玄関から入ると・・・大理石の廊下や階段がお迎え。

その大理石を良く見てみると・・・

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!?アンモナイト!?・・・です。ほんまもんの大理石です。アンモナイトはあちこちに・・・。さあ、数えてみよう!1・2・3・・・やめた・・・

正面階段を上ると踊り場上に、ステンドグラス。私の心のようにキレイですね~。

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そして、エレベーター。エレベーターの内部設備は更新されているようですが、外観は当時のままのようです。

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3階には「貴賓室」があります。普段は立入禁止!皇族、外国の大使、総理大臣など、県の公式の特別なお客を迎える部屋です。

天井のシャンデリアは、建築当初からのガラス製です。

下の写真は廊下にある普通の照明です(写真がなかったので、とりあえず照明器具をのせとこって思っただけです・・・)。「貴賓室」にあるシャンデリアは別格です。

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・・・あと、この「貴賓室」には、どでかいアンモナイトが隠れています。でも、立入禁止なので、アンモナイトを数えに勝手に入ったら、まず怒られるでしょう。

そして、4階には「正庁」があります。

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この「正庁」は叙勲や県功労賞などの式典を行っています。

そして、4階上には「ドーム会議室」なるものがあります。正面中央の一番上にあるドームのあるところです。

そしてそして、この庁舎はあの有名な映画のロケにも使われました。

その映画こそ「世界の中心で、愛をさけぶ」。平成15年11月に本館2階「玄関ロビー」等で行われました。思い出しただけで泣ける~。

でも・・・県庁舎に入って、いろいろ見学したいけど、ウロウロしていたら不審者と思われるかもしれない・・・立入禁止もあるし・・・

そんな方にも心配ご無用!

なんと、誰でも予約さえすれば、たとえ1人でも職員が県庁舎を案内・説明してくれます。

「貴賓室」にも入れますよー。私は「知事室」を見せてくれ!と近くまで行きましたが・・・絶対ダメだと言われました。しかし、知事の美人秘書2名が「にこっ」ってしてくれました。なんかもうけ!

詳しくは、↓をクリックしてください。

http://www.pref.ehime.jp/020kikakujoho/020kenseikoho/00004119031003/kenngaku.htm

全国過疎問題シンポジウム2011inえひめ~分科会(宇和島編)~

皆さん、こんにちわぁ~(^◇^)研究員川渕です☆

前回に引き続き、2日目の分科会の様子をアップしますのでご覧ください(^_-)

分科会は4つの分科会に分かれていましたので、森所長は西予市の宇和米博物館で開催された第3分科会へ、﨑山研究員は八幡浜市の新町ドームで開催された第2分科会へ、そして、須山主任研究員と近藤研究員、私の3名は宇和島市の道の駅 うわじまきさいや広場の屋外ステージで開催されました第1分科会へ参加しました(^^)

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10時から分科会開始☆早稲田大学教授の宮口氏をコーディネーターに優良事例発表及び意見交換が行われました☆事例発表は総務大臣賞を受賞された岩手県葛巻町、愛媛県上島町の株式会社しまの会社、全国過疎地域自立促進連盟会長賞を受賞された島根県の株式会社萩の会です(^v^)

まずはじめに、岩手県葛巻町総務企画課の吉澤氏より事例発表がありました(^^)「北緯40度 ミルクとワインとクリーンエネルギーの町 くずまき」ってタイトルがついていたのですが、なんかすごく目を引くキャッチフレーズのような感じでイイですね~☆葛巻町は、東北新幹線「はやて」で東京から約2時間40分、「いわて沼宮内駅」で下車して、さらに車で約30分のところにあり、町の中心を北緯40度ラインが通る町なんだとか…(゜o゜)ホエ~!だから「北緯40度の町」なのか~(^’^)人口は、7,307人(平成22年度国勢調査速報値)で1960年には15,964人だったのが、半分近くに減少しているみたいです(+o+)基幹産業は主に酪農業で、乳牛約10,000頭がおり、「東北一の酪農卿」と呼ばれているそうです。ここで、またまた見つけた面白いキャッチフレーズが…!!「人より牛が多い町」←逆転の発想!これは面白いでしょ?イメージしただけで、なんか行きたくなるような…(^◇^)また、葛巻町では第三セクターによる地域活性化を行っており、くずまき高原牧場やくずまきワイン、グリーンテージホテル(黒字経営)をされているようです。観光客入込み数は平成10年時に約17万人だったのが、平成22年時には約53万人になったとか…(゜o゜)スゴイ

これまでのまちづくりの経緯は、昭和50年代から「酪農基盤整備」、昭和60年代から「地域資源の活用及び交流基盤の整備」、」その後、「交流事業及び新エネ導入」という流れとの事。

第三セクターが果たしている役割として、「地域雇用の創出」、「地域経済への波及効果」、「農林家の所得向上」、「交流人口の拡大」、「町のイメージアップ」が挙げられるようです☆

今後は、「山村のモデルとなるまち」「誇りを持てるまち」「住み続けたいまち」として、夢のあるまちづくりプロジェクトを実施していくようです(^O^)吉澤さん、貴重な発表ありがとうございました(^^)

続いて、わが愛媛県上島町の株式会社しまの会社 代表取締役 兼頭氏より事例発表がありました。兼頭さんは東京の方で就職をされていたのですが、会社を辞めて島に移住したのです(゜o゜)もともと、田舎は「やたら干渉してくる」「すぐに噂をする」などから、田舎が嫌だったようですよ(^_^;)移住されてから「島民の 島民による 島民のための会社」であるしまの会社を設立。『摘み菜の島計画』や『耕作放棄地(47.1%)の再生』などに取り組まれているとの事。また、古代から続く塩の歴史・文化を継承し、「地域の誇り」となるべく、『塩の道プロジェクト』の始動に合わせ、NPO法人 弓削の荘を設立され活動を展開されています(^^)さらには、空き家を活用した「プチ島暮らし」も開始されているんだとか…(゜レ゜)兼頭さんは「島では少子高齢化がすすんでいるが、1人あたりに注がれる愛情はNO,1です」と常にプラス思考!!←私も見習わなければならないです!兼頭さん、貴重なお話をありがとうございました(^^)

最後に島根県の株式会社萩の会 代表取締役 斎藤氏より事例発表がありました。萩の会での活動のキッカケは平成10年3月に高齢化がすすみ、農地の荒廃が進み始めた集落を見ながら「何かできないか?」と検討し始めたのがキッカケとの事。そこで会食を重ねる中で任意組織「萩の会」を結成したそうです☆平成10年4月に女性6人で民宿部会を立ち上げ、~わがままおばあちゃんの宿のおもてなしは「食・人・自然」をキャッチフレーズに空き家を活用し「雪舟山荘」をオープン☆←この行動力!!スバラシイです(^_-)次に水稲部会を立ち上げ、荒れた田園を無くそうと集落内の水田30aでコシヒカリや赤米、黒米なその古代米栽培をしているのそうです☆次に、旧匹見町からブルーベリー園(20a)を譲り受け、450本の苗木から年間1.6トンのブルーベリーを収穫し、ジャムなどに加工される。ジャムは「わがままおばあちゃんの自慢作 ブルーベリージャム」として年間5,000本を出荷しているのだとか…!おぉ~スゴイ(゜o゜)

しかし、平成18年に空き家だったところへ家主さんがUターンされることに…!民宿&活動拠点だったところを閉鎖することに。定住人口増につながったし、自分たちの目標は達成できた…という反面、「女性達の活動がここで途絶えるのは残念」という思いから、住民総出で手作りの館を作り、平成19年5月に「萩の舎」がオープン☆活動は継続することとなったようです。その後、活動も定着した頃、一年の活動を通じ「繰越金」が発生するほどに…(゜o゜)税法上、活動形態について検討した結果、「株式会社」の設立に至ったのだとか(゜o゜)ほぇ~

今後は、「集落のコミュニティビジネス」の展開や田舎暮らし体験を柱とした「体験型ツーリズム」、「加工品生産及び販売の拡大・特産品育成」、「担い手育成」に力を入れていくとの事でした。斎藤さん、貴重なお話をありがとうございました(^O^)

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(写真左から、吉澤さん、兼頭さん、斎藤さんです☆)

このあと、参加者から多数の質問があり、とても有意義な意見交換となりました☆

事例発表終了後は、現地視察のためバスで移動です(^O^)/現地は同市津島町岩松地区です(^◇^)案内をしてくださったのは、津島支所の森田さんです(^^)ちなみに森田さんは元センター職員で、現在、地域づくり会議の事務局もされています☆

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津島町岩松地区に到着後、昼食へ(+o+)腹が減っては視察はできぬと言いますもんね!オイオイ(-_-;)

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昼食は同地区にある「大畑旅館」さんのところへお邪魔しました(^◇^)

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見てください!この料理!!これでもまだ出ていない料理があるんですから…(゜o゜)(昼からこんなに食べて大丈夫かな~と思いながら…まっ、結局食べるんですけど(笑))

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「鯛飯(南予ではひゅうが飯って呼ぶのかな?普通に鯛飯でいいのかな?)」まぁとにかく、ウ~~ン~~~~~マイ!!!!「おかわりありますから…」ってお店の人に言われ、もう一杯いこうかな~なんて思ってもこういうときって、周りを気にしちゃうんですよね~(笑)行けばよかった~(泣)くぅ~

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どの品もとても新鮮でたまらないものばかりでした(^◇^)もうお腹一杯で動けません…ってな感じでしたけど(苦笑)さぁ現地研修いってみよ~(^O^)/

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昼食を終え、現地へは徒歩で向かいます☆

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この路地、なんかイイ感じじゃないですか~?

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着いた先は酒蔵です☆もともと、岩松地区には「萬楽(東小西商店)」。「金丸(西村酒造場)」、「三壽(阿部酒造場)」という三つの蔵元が軒を連ねる「酒どころ」だったようですが、昭和50年代に三軒とも造りをやめ、岩松地区から酒造業が途絶えたそうです。その後、東小西商店は取り壊され駐車場に、阿部酒造場は居酒屋などに様変わりしたそうで、西村酒造場(上の写真)だけは当時のまま残り、それが町並み保存のキッカケとなったようです。

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この酒蔵では平成2年の「酒蔵クラシックコンサート」以来、年に数回、コンサートや落語、ワークショップ、会議、映画、展示などの催しが行われているそうです。そして、平成17年6月、この酒蔵を核に個性あるまちづくりを実践しようと、地元有志が中心となって岩松町並み保存会が結成されたそうです。

そんな中、いろんなアイディアを話し合っているうちに「やはりここは酒蔵。酒造りに使うのが一番自然だ。酒蔵のまま保存して活用したい」という意見もあり、可能性を模索していたとき、他県で事例のあった「どぶろく特区」を活用することに。その後、愛媛県内で第1号の「どぶろく特区」に認定され、「企業組合いわまつ」を設立。棚田で育んだ自家製米を70%まで精米し、清酒用の酵母で丁寧に仕込んだ真っ白などぶろくが平成19年11月に初蔵出しされたのだとか!どぶろく名は『なっそ』☆(※なっそとは…岩松地区の方言で「なぜだ?」、「どうした?」といったニュアンスで使われる言葉です。)

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(写真左から森田さん、兵頭さん)

今後は「なっそ」の生産量を拡大していくようです(^O^)/兵頭さん、森田さん、貴重なお話をありがとうございました(^^)

てな感じで全国過疎問題シンポジウムの全日程は終了~です☆

ここでお知らせですが、来月4日に「なっそ蔵出し2011」が開催されるようです!時間は9時~14時。飲んだことのない方は是非一度参加されてみてはいかがでしょうか?飲酒運転にならないよう段取りして行きましょうね☆

詳しくはこちら→http://nasso.exblog.jp/16800791/

全国過疎問題シンポジウム2011inえひめ~全体会~

皆さん、こんにちわぁ~(^O^)研究員 川渕です☆

なんか一段と寒くなってきましたね(+o+)風邪引かないようしないといけませんね~☆

さてさて、本日は先月13日~14日に開催されました「全国過疎問題シンポジウム2011inえひめ」の様子を2回に分けてお送りしますね。

まずは13日(全体会)からいっちゃいましょう~☆

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会場となったのは西予市文化会館です☆12時30分から受付開始だったので、西予IC付近にある「どんぶり館」でちょっと早めの昼食をとり、いい時間に到着~☆(この日の川渕は、卯之町駅の方へ曲がるのに直進してみたりとなかなかやらかしていました(汗)森所長にも「川渕くん、どこ行くの?」ってツッコまれてましたし・・(笑)エヘヘ)

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会場外では、西予市の特産品がズラリと並んでいました(^◇^)

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…と気になったのは、スタッフさんのハッピ(゜レ゜)派手なハッピだな~と思いきや、西予市の観光スポットやイベントの写真が入ったものでした(゜o゜)これはイイなぁ~☆

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お~っと、ここで商品購入に走ったのは﨑山研究員ですね(^v^)久しぶりの登場です!何買ったのだろう?

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…とここで負けじと商品購入をしたのはもちろん、須山主任研究員でございます(^^)/今回、西予市の林さんからのおススメ商品だということで「じゃ、CMやっちゃう?」ってなことで…いつものアレをやっちゃいますね☆

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愛媛・西予がギュ~と詰まった「あっぱれみかん」☆

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ゴクゴク…口の中で爽やかな味わいが感じら…

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はい、カ~~~ット!!!かなり酸っぱかったようですね(^_^;)でも、それだけ凝縮されているってことですから、皆さんも一度飲んでみてはいかがですか?(卯之町駅とかに売ってるのかな?546さん、お土産待ってま~す(^O^)/)

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まず開会宣言を、愛媛県過疎地域自立促進協議会会長 三好幹二西予市長が行いました。その後、主催者あいさつを総務省 門山泰明地域力創造審議官が、歓迎挨拶を愛媛県 高浜壮一副知事が行いました。

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続いて、平成23年度過疎地域自立活性化優良事例表彰式が行われました。総務大臣表彰に、わが愛媛県上島町の「しまの会社」さんが選ばれました(^O^)/オメデトウゴザイマス☆

ここで各受賞者への講評を早稲田大学教授 宮口氏が行いました。講評では「現代は多様化してきており、その時代にあったものを内からつくっていくか」が重要な部分であり、今回の受賞者を決定したとのことでした。「しまの会社」については、『外』から来た人と、『内』にいる人との繋がりによって生まれたもの。「島を活かす」=「島に住む人」、島の人達による島の資源発掘などが評価され、受賞に至ったようです。

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表彰式ではしまの会社 代表取締役 兼頭さんが「島民の、島民による、島民のための会社であり、私だけがもらう賞ではない。みんなでもらう賞だから」ということで、島の関係者が壇上に(ToT)/サイコーです!!メッチャええ話です!

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表彰式の様子です☆涙でもう前が見られません…(泣)

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記念品を村上さんが受け取りました☆

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今回、受賞されました方々で記念撮影でございます(^◇^)皆様、本当におめでとうございます(^v^)

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休憩を挟んで「今どきの地域振興の視点」と題し、㈱タマノワ代表取締役 玉沖仁美氏による基調講演が行われました。講演では、観光振興としてじゃらん宿泊旅行調査などデータを基に「ターゲットをどこにおくのか?」という点で、各ポイントについてお教え頂きました。また、産品開発では「モノを作って売る」という点で、下記の流れで物事を進めると効率が良いなど、参加者にも分かりやすい説明をしていただきました。

『モノを作って売る』を因数分解してみると…

 ①与件の整理

 ②マーケティング

 ③企画立案

 ④商品化

 ⑤パッケージ、POP、チラシなどの製作

 ⑥PR

 ⑦販売

③の企画立案ですが、具体的にいうと…

「どうして+いつ、どこ、だれ、どう?」がポイントになるんだそうです(^^)/

◆どうして(想い)

◆いつ(いつ食べて(使って)もらいたい?)

◆どこ(どこで売りたい?)

◆だれ(誰に買ってもらいたい?)

◆どう(どう食べて(使って)もらいたい?)

最後に経済効果を上げる点として…観光:上記①~④の視点、利益率を上げるには?、商品企画なんだそうですよ(゜o゜)フムフム

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続いてパネルディスカッションが行われました。コーディネーターに町づくりプロデューサーの福井功氏、パネラーは㈱おおやま夢工房取締役支配人の緒方英雄氏、㈱八木澤商店会長の河野和義氏、㈱タマノワ代表取締役の玉沖仁美氏、西予市長の三好幹二氏、人間牧場主の若松進一氏でした。

テーマを「過疎地域の底力~地域再生への新たな決意~」と題し、各パネラーの方からいろいろなお話を聞くことができました☆三好西予市長は、南予地域は全て過疎指定となっているが、西予市は海抜0mのところではサンゴが増え始め、1,400mのところは青森と同じ環境であることを考えるといろんなものが揃っている市と言える。若松氏は、まちづくりのキッカケから現在までの経緯をお話していただき、昔は「田舎のなげき十カ条」だったが、20年したら「田舎の楽しみ十カ条」になることをお話されました。玉沖氏は、産品開発は「地域づくりの一手法」であることをお話され、①どうなりたいという「イメージ共有」、②いつまでという「ゴール設定」、③だれがどこまでという「スケジュールの役割分担」という3つをセットに地域づくりをスタートさせてほしいとお話されました(^_-)河野氏は先般の東日本大震災で今年で204年目だった八木澤商店が全て流されたことや、震災のおかげで分かった財産「人のつながり」「人の絆」についてお話されました(^^)緒方氏は「過疎」と思うか、『華蘇』と思うか、捉え方や考え方次第で全然変わってくることをお話されました☆どのお話も「なるほど」「そうか」と思うことばかりで貴重なお話を聞かせていただきました(^v^)パネラーの皆様、ありがとうございました☆

 

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これは河野氏の説明時に映された震災前後の写真です。

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これらの写真を見ると、東日本大震災の凄さが分かりますね(-_-;)

パネルディスカッションも終了し、全体会はこれにて終了です。このあとは交流会です☆

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全体会の会場2階で開催された交流会では全国から来られた方々と交流することができましたよ(^O^)/

はじめに総務省 門山審議官よりご挨拶がありました☆

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続いて乾杯に入り(ありゃ~、須山主任研究員は目つぶっちゃってますね(笑))、一斉に名刺交換スタートです(^◇^)皆さん、お目当ての方に猛アタックしていくので、会場内は大混雑です(ToT)足とか踏まれるし…

と、そんなこんなで一日目終了で~す(^-^)このあと、私達は宇和島市入りでホテルにチェックインしたあとも。。。そう、行ったのです(^v^)ホテルに帰るときに商店街で、と~~~っても楽しそうな二人組に遭遇(^O^)/ってよく見ると、玉沖さんと宇和島の萩森さんでした(^_^;)玉沖さんは笑いすぎて頬がイタ~イってな事になってましたし…(笑)いや~楽しい一日でした☆

次回は二日目の分科会の様子をアップしますのでお楽しみに~☆

近代化遺産ニュースVol.5-③

こんにちは!研究員の土岐です。

今日はいよいよ「愛媛県の鉄道史」最終回です。ワクワク・・・

では・・・さっそく「東予編」スタート!

東予エリアにあった私鉄は・・・「別子鉱山鉄道」!開通は明治26年。なんと日本で最初の「山岳鉄道」なのです。

その頃の国鉄はというと・・・香川県からどんどん延びてきて、愛媛県(川之江)まで開通するのは大正5年まで待たないといけません。

「別子鉱山鉄道」を語るには、少しだけ(ほんの少し)「別子銅山」を語る必要があるのです。名の通り「別子鉱山鉄道」は銅鉱を運ぶことを目的としてつくられたからです。

別子銅山は元禄4年に住友家により開発が始りました。

元禄とはいつ頃!?というと・・中国清王朝の康熙帝の時代です。名君で有名な皇帝ですね~(よけー分からん!)。

つまり、日本では江戸幕府5代将軍の徳川綱吉、徳川光圀(いわゆる水戸黄門)がいた時代です。今から320年前。

そして、昭和48年に閉山するまで約282年間も採掘をし、現在、巨大企業群を形成する住友グループの基礎が出来あがったのです。

江戸時代の別子銅山における運輸方法は、もちろん人力!約190年間も人力で運搬していたのです。車でも30~40分かかる距離をメチャ重い銅鉱を背負って・・・。私なら1日で腰がダメになります!

そこで明治13年に登場したのが牛車!10万円を投資して、5年を費やして牛車道28㌔を整備。当初はあの有名な近江牛18頭が活躍(あ~ステーキ食べたい!)。別子~新居浜口屋(ほぼ海沿い)まで4日かけて往復していたそうです。

でも、人力よりは良いけど、やはり不便・・・そこで鉄道の登場!

明治26年に「上部鉄道」と「下部鉄道」が開通!

総費用はなんと328,023円!・・・って少ない・・・?いえいえ、それはあなたが高給取りだからそう感じるのかもしれませんよ・・・。

んな訳はなく、今のお金で換算すれば100億円以上!こんな高給取りに会ったことはありません!もっと言えば、伊予鉄道の明治26年の年間売上高25,723円。そう思うとスゴイ額!

どの辺りを走っていたかというと・・・

マップ

ちなみに、地図の上部分(市内側)が「下部鉄道」、下部分(山側)が「上部鉄道」。青色の線路っぽいやつ、ほら電車の絵がある線!

上部鉄道は全長約5.5㌔で1日6往復。下部鉄道は全長約10.5㌔で1日4往復。

どのくらいのスピードかって!?上部鉄道の時速はなんと!・・・13㎞程・・・おそ!ノロノロ運転やな~。でも輸送量は爆発的に伸びました!って、常識で考えても、牛と鉄道とを比べたらダメでしょう。

別子鉱山鉄道は、銅鉱を運搬することが目的でしたが、昭和4年から一般営業(つまり一般旅客が乗る)を開始しました。昭和10年には新居浜港まで路線延長し、昭和17年には国鉄新居浜駅連絡線をつくるなど、利便性も向上も図ってます。

しかし、昭和24~25年以降はバスが普及しだし、次第に市内交通はバス中心となっていき、昭和30年に再び鉱石専用鉄道になりました。

そして、別子銅山の閉山の少し後の昭和52年に84年の歴史に幕を下ろします。

では、ブログもお後がよろしいようで・・・って終わりませんよ!

ここからは「電車でGO!」をします。

上部鉄道の山側(さっきの地図の下側)からスタートして・・・しゅっしゅっぽっぽ・・・東平エリアが見えてきました!

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でた!東洋のマピュピチュ!正確には「東平貯鉱庫、選鉱場」。つまり銅鉱を貯めたり、選別したりするところ。

・・・で上部鉄道の終点がきたので、下部鉄道(端出場エリア)に乗り換え!

端出場発電所

下部鉄道スタート地点周辺には端出場発電所!国の登録文化財。別子銅山の電力供給のためにつくられました。

下部鉄道をスタートして最初に

端出場隧道

端出場隧道!隧道はトンネルのこと。これも国の登録文化財。

次は・・・

端出場鉄橋

端出場鉄橋!端出場隧道を抜けたらスグ通ります。これも国の登録文化財。

しばらく、走ると・・・しゅっしゅっぽっぽ・・・

山根・上原エリア周辺に・・・

山根グランド

山根競技場観覧席!住友各企業の福利厚生施設として出来ました。なんとつくったのも住友社員!

広瀬家

少し遠くに見えるのが(距離にして5㌔程、目視ではムリ)・・・広瀬邸。別子鉱山鉄道をつくった住友家初代総理事の家です。国の重要文化財になってます。

・・・そして、終点「星越駅」です(当初の終点駅)

星越駅

やっと着きました!星越駅の近くには、山田社宅群、新居浜選鉱場など別子銅山関連の施設が広がっています。

そして・・・

住友銀行

住友銀行新居浜支店もあります。いつの時代にも事業にはお金が必要です!これも国の登録文化財です。

明治中期までの新居浜は、ごくありふれた瀬戸内の漁村でしたが、別子銅山の発展とともに着々と整備され、新居浜は企業城下町として発展していったのです。

別子銅山はスゴイですね~!産業としてもスゴイけど、今なお多数の近代化遺産群が残っている数少ない銅山です。日本3大銅山の日立銅山と足尾銅山の遺産(ちなみにあと1つは別子銅山。念のため・・・)と比べても、比較にならない位に残っているそうです。

是非、行ってみましょう!詳しく知りたい方は・・・広瀬記念博物館、別子銅山記念館、マイントピア別子へ是非どうぞ。

そろそろ長きに渡った「愛媛県の鉄道史」を終了します!

鉄道史スピンオフを乞うご期待!・・・でも、これ以上は鉄道の深堀りはないかも・・・

次回、近代化遺産ニュースをお楽しみに~