研究員ブログ

「三本の矢」の「的外れ」へんろ道中日記

なんともわかりにくいタイトルをつけてしまいましたが、今回6月16日(土)・17日(日)に宇和島市三間町にて行われた「へんろ道文化」フォーラムの番外編と思っていただいて、ご覧ください。

1.毛利家住宅

6月16日(土)、三間町を訪問した松本、坂本、谷本の3名の研究員は、松山から一路、宇和島市三間町へ。到着予定時刻よりもやや早く三間町に到着したこともあり、三間町是能(これよし)地区にある「毛利家住宅」を訪ねました。

毛利家概観

※見事な茅葺きの屋敷です。

この「毛利家住宅」は、宝暦3(1753)年、当時の毛利家初代当主、甚臓(じんぞう)が創建した茅葺き寄棟造りの屋敷で、吉田藩是房(これふさ)村庄屋「毛利家」の住宅として使われたものです。
この毛利家住宅は江戸時代の農村文化建築をその姿にとどめており、学術的にも非常に価値がある建造物とされており、屋敷が林と林の谷にあることから、別名「林間亭」とも呼ばれています。
現在、毛利家住宅を農村文化の象徴として保存活用していくために、さまざまな展示会や体験イベントが行われているそうです。ちなみに、宇和島市のHPにもこの「毛利家の体験レポート」がありますので、参考までにご覧ください。
 

「宇和島市UJIターン情報」

 

2.道の駅みま

さて、毛利家住宅を見学した後、「3本の矢」はフォーラムが開催される「三間コスモスホール」ではなく、「道の駅みまコスモス館」へ向かい、昼食をとることにしました。さっそく「三本の矢」が「的外れ」な方向にいっているとのご指摘があると思いますが、ごもっともでございます(笑)。

道の駅みま

※道の駅みまコスモス館

ここの目的は、「昼食バイキング」。大人1名につき750円というなんとも庶民の味方のようなリーズナブルバイキング。松本研究員と坂本研究員はあまりのおいしさに「おかわり」をしておりました。
研究員おすすめの「昼食バイキング」がある「道の駅コスモス館」、三間町へお越しの際はぜひお立ち寄りください。詳細はこちらを参照してください。

「宇和島市観光協会」HP
http://www.uwajima.org/special/vol6/cosmos1.html

 

3.第42番札所佛木寺 

フォーラム、清掃ウォーキングについては松本、坂本研究員が報告いたしますので割愛することとして、ここからは「まちづくり活動部門の研究員」なりの「おへんろ文化の味わい方」ということで、岡崎直司さんのブログでも紹介されているような「タウンウォッチング」という切り口で、今回は42番札所「佛木寺(ぶつもくじ)」をご紹介します。
本家本元の岡崎さんほどにはならないかもしれませんが、単なる信仰の対象としての寺ではなくて、こういう遍路寺の味わい方はいかが?というご提案です。

 

①伊達家の家紋もあります

伊達家の家紋

本堂には伊達家の家紋(左:竪三つ引両、右:九曜)が刻まれています。江戸時代の三間地方を治めていたのは伊達家(伊予吉田藩3万石)ですから当たり前といえば当たり前の話ですが。

ちなみに、佛木寺の由来などの基本情報は、こちらをご参照ください。

「宇和島市観光協会」HPより
http://www.uwajima.org/special/vol7/butsumokuji.html

 

②仁王門と1対の仁王像

仁王門

※佛木寺の入口にある「仁王門」

左側 右側

「仁王像(左が吽形、右が阿形)」

「阿」とは「生命の誕生、物事のはじまり」という意味があり、「吽(うん)」とは「生命の死、物事の終わり」という意味があり、それを表現していることになります。お互いの気持ちがよくわかることを「阿吽の呼吸」といいますが、それはここからきており、「阿」が吐く息、「吽」が吸う息のことをさします。大きな寺にはこのような「仁王門」があることが多く、その左右1対の仁王像を見ると、口をあけている像(阿)と口を閉じている像(吽)があるので、見比べて観察してみましょう。

なお、この「阿吽=人間の生と死」という概念は、もともとは仏教の呪文(真言)に由来するものですが、これは何もお寺に限ったことではありません。神社の本殿などの飾りのある彫り物にも「阿吽」の概念があり(たとえば狛犬など)、このあたりに「神仏習合」の名残を感じることができます。

また、空海の教えは「真言宗」といいますが、それはこの呪文という意味の「真言」という言葉からきています。高校日本史の勉強にぴったりの教材ですね。

 

③境内にある手水鉢(ちょうずばち)

手水鉢

※石には「寛政5年」という年代が刻まれている

この石は境内にある手を洗うお鉢、いわゆる「手水鉢(ちょうずばち)」です。ここで注目したいことは、これが奉納されたとされる年代が寛政5(1795)年と刻まれていることです。

この年は、当時、佛木寺のある三間地方を治めていた吉田藩で、武左衛門一揆(吉田騒動)と呼ばれる大きな「百姓一揆」があった年で、一揆の内容については割愛しますが、宇和島周辺地域の郷土の歴史を語る上では絶対に欠かすことの出来ない非常に歴史的に重要な出来事です。

そのような地域の歴史に大きな影響を与えた出来事があった年にこの手水鉢が奉納されたということは、当時の地域社会がたいへん不安定になっており、それを仏の力をかりて世の中を安定させたいという当時の人々の思いが込められていたのかもしれませんね。

 

④茅葺きの鐘楼(しょうろう)

鐘楼

※茅葺きは珍しい

この42番札所「佛木寺」には四国霊場88ヶ所の中では唯一のものがあります。それが「茅葺きの鐘楼」です。必見です。

 

⑤境内にある愛すべき動物たち

獅子 シャチと犬 獏
※飾り瓦と彫り物

鬼瓦
※鬼瓦

神社仏閣を訪れると、屋根には「飾り瓦」と呼ばれる動物(空想上の生き物を含む)の形をした「瓦」や、建物の中にも動物がかたどられた「彫り物」があったりします。お寺や神社を訪れた際は、ちょっと立ち止まって見上げてみましょう。この上の写真にはどんな動物がうつっているでしょうか? ちょっとかわった動物たちがあなたを迎えてくれるかもしれません。

ちなみに、飾り瓦とは「鬼瓦」に代表されるように、もともとは「魔よけ」の意味を込められて設置されていましたが、だんだんと「飾り」の要素が強くなってきており、今ではひとつの「アート」として成立しています。ちなみに、愛知県高浜市では「飾り瓦コンクール」なるイベントも開催されています。

以上簡単でしたが、第42番札所「佛木寺」の歴史文化的アプローチによる「ウォッチング」でした。みなさんもぜひ、普段何気なく身近にあるところを訪ねてみてください。ちょっと視線をかえて見ると、そこには違う世界が見えてくるかもしれません。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)