研究員ブログ

ウナギを通して

若松進一さんのブログに大小様々な天然ウナギの写真が掲載されていた。
先日高知県馬路村で開催された「第5回全国まちづくり交流会」に参加したときのものだ。当センターの清水研究員と松本研究員も同行しており、前夜祭などで食した天然ウナギのおいしさに感激したとの話。
天然ウナギファンの私としては、羨ましい限りである。

ファンというだけで、天然モノを食べたことが少ないため好物といえるレベルにはない。
私の出身地である久万高原町には、石鎚山を水源とする「面河川」という清流があり、鮎やアマゴといった魚とともに、贅沢にもこれらを好んで捕食する天然ウナギが生息している。
ウナギ漁の旬なシーズンは夏場で、昼間には鮎の友釣りを楽しむ人々で賑わう面河川も、夜になると鮎に加えて天然ウナギを捕獲する”夜川(よかわ)”なる漁が行われる。
私もこの”夜川”を楽しむ者の一人であるが、実はこれまで(キャリアおよそ10年間)に天然ウナギを獲ったことがないのだ。様々な方法を駆使して挑んでみるものの、最近は数もめっきり減ったようで、お目にかかること自体が少ない。
懇意にしている川漁師が捕獲した天然ウナギを、遠慮しつつ食べさせてもらったのがかれこれ5年前。
それ以来私の口に入っていない天然ウナギへの憧れは、人一倍強い。

今月13日、ワシントン条約の締結国間で欧州産ウナギの稚魚の取引規制が合意された。日本も中国経由で大量の欧州産ウナギを輸入しており、今回の規制によって養殖・天然にかかわらず価格にも影響が出そうだ。

今年の土用の丑の日は7月30日。翌々日8月1日が面河川でのウナギ漁(ヤス)の解禁日である。
数年後には高級品となっていそうなウナギをしっかり味わって食したいのはもちろんだが、絶滅の恐れがある欧州産ウナギの国際取引規制を通して、今夏漁に挑戦しながらも、「資源保全」というテーマについて改めて考えるきっかけにしなければならないと思う。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 坂本耕紀)

今日は日記の日

 研究員ブログということで、今日は「ブログ」そのものにまつわる話ということでいきたいと思う。ブログとは言わずもがなではあるが、インターネット上の「日記」のことをさし、インターネットで調べるところによると、6月14日は「日記の日」ということである。

 これは、「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクが日記を書き始めた日が1942(昭和17)年6月14日であったことに由来する。アンネ・フランクは、父親から13歳の誕生日に日記を贈られたそうだ。

 さて、その「日記の日」の由来となったアンネ・フランクは、このように日記の冒頭を綴っている(原文はオランダ語)。

あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、何もかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
(一部抜粋『アンネの日記 完全版』(文春文庫))

 アンネ・フランクは「日記」を「自分の力となるようなもの」、「元気付けるもの」として位置づけていることがうかがえる。

 そして、これを翻って自分にあてはめて考えてみたところ、自分は小学校3年生の宿題のときの日記以外で、毎日日記をつけた記憶がない。それ以来の日記(ここではブログだが)である。

 この研究員ブログが、「アンネの日記」のように、派遣期間が終了して後から読み返したときに、自分に「元気」や「励まし」を与えるものになっているだろうか?と自問してみたが、現在のところはまだわからない。

 でも、この研究員ブログを綴ることを通して、あとで少しでも「自分の変化や成長」に気づくことが出来れば、それは「元気」や「励まし」を与えることができたことにつながるんだと考えると、それこそ「空の蒼さを知ることができた」といえるのかもしれないと思い、今日も記事を更新するのだった。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

三本の矢でがんばります。

 いまさらになってだが、この4月にやってきた「まちづくり活動部門」の市町派遣の研究員を紹介したい。

松本 宏(まつもとひろし)研究員
 ※伊予市(旧双海町)より派遣

坂本耕紀(さかもとこうき)研究員
 ※久万高原町(旧美川村)より派遣

谷本英樹(たにもとひでき)研究員
 ※宇和島市(旧宇和島市)より派遣

の以上3名であるが、偶然にも3名の職員にはある共通点がある。それは、3人とも苗字に「本」という文字がつくのだ。せっかく3人とも「本」という言葉がつくので、「本」をつかってわかりやすいキャッチフレーズをと考えて出てきたのが、

「三本の矢」

である。3人一緒で名刺交換などをさせていただく機会では、

「三本の矢でがんばりますのでよろしくお願いします」

と、にこやかになるべく言うようにしているのだが、よくよく「逸話の内容」を考えてみると、この「三本の矢」は誤解される恐れもあるなと感じた。

 結論にいく前に、この「三本の矢」の逸話そのものについて、簡単に説明しておこう。

 「三本の矢」の逸話とは、戦国時代に中国地方の武将である毛利元就が、3人の息子に対して、1本の矢では簡単に折れるが、3本だとそう簡単には折ることが出来ないことを通して、「一人一人で物事を行うよりも、協力して行う方が、大きな効果を得ることができることの大切さ」を説いたというものである。

 ちなみに、余談話であるが、実はこの逸話は「作り話」であって、原話は「イソップ物語」であることはあまり知られていない。話の中身はほとんど一緒なのだが、父親が息子に渡すのが「矢」ではなくて「棒」になっている。このイソップ物語が原型となって「三本の矢」の逸話が生まれたのである。

 やや、話が横道にそれてしまったが、逸話の例をよくよく考えてみると(うがった見方かもしれないが)、「1本の矢では折れるけれど、3本の矢だと折れない」ということは、「3本集まってはじめて1人前」ということにもなるのではないかと思ってしまうのだ。

 ということは、逸話どおりになってしまうと「一人だと折れてしまう」ことになってしまうことになり、その人は「1人では頼りない」ということの裏返しでもある。そうだとすると、なんだか今度の研究員さんは頼りないなあと思われてもいけない。

 というわけで、「1本でも折れないようにし、3本なら絶対におれない矢」を目指しての「三本の矢」ということでがんばりたいと思っているので、「三本の矢」をみなさん温かく見守っていただきたい。

 ただし、「矢」だけに飛ばしたら三本の矢とも「的外れな方向」にいくかもしれないのだが。お後がよろしいようで(笑)

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)

第5回全国まちづくり交流会

6月9日(土)高知県馬路村で第5回全国まちづくり交流会が開催されました。

この交流会は、2003年愛知県足助町(当時)で足助町観光協会AT21倶楽部の設立10周年記念式典に、同倶楽部と日頃から交流の続く全国の地域づくり団体が集ったことをきっかけに、「全国まちづくり交流会」として、第2回は与論島、第3回は阿波勝浦、第4回は北海道オホーツクの地で開催してきたそうです。

第5回の交流会は馬路村活性化推進協議会が主催し、「村には価値が生まれる」のテーマで、人口1,114人の高知県馬路村で開催され、全国各地から90名もの参加がありました。

馬路村上治村長から歓迎のあいさつがあり、「村がブランドになるような地域づくり」を目指した実践の紹介がありました。特に興味深かったのが馬路村を応援してくれる「特別村民」制度を導入していることで、交流人口が35万人にまで増えてきているそうです。この人口は、高知市の人口に匹敵し、いかに元気な村かが窺がえました。ちなみに「特別村民」は、馬路村に行けば村長室で「ごっくん馬路村」が飲めるそうです。

p1000963.JPG p1010054.JPG

※村長さんと特別村民に送付される広報誌「こうほう馬路」

続いて、馬路村農協組合長の東谷さんから「馬路村農協の取組」が報告されました。ご存知のように東谷さんは、今日までのゆずづくりや商品開発、販売の仕組みづくりなど20年にわたる活動の中心的役割を果し、馬路村のイメージを作り上げた村おこしのリーダーです。 東谷さんたち馬路村農協の取組をスライドを交えながらお話いただきました。「ごっくん馬路村」などゆず加工品の売上は33億円を超えたようで、まだまだ進化し続ける馬路村農協のパワーに圧倒されました。

p1000971.JPG

※東谷組合長は夜の部も先頭で引っ張っていました。

続いて基調講演があり、「沈む夕日でまちづくり」をしてきた愛媛県双海町(現:伊予市双海町)の取組を人間牧場オーナーの若松進一さんが熱く語られました。オープニングでは寅さんばりのDVD紹介もあり、笑いの渦となった講演は、時間の経つのも早く、若松節炸裂・得意のハーモニカ披露と会場の参加者は若松イリュージョンへ引き込まれていきました。笑いの中にも、まちづくりを行う上で大事な「楽しいこと」「新しいこと」「美しいこと」の3つのキーワードを遺し、講演を締められました。

p1000984.JPG

※人間牧場主の若松さん

その後、参加者からそれぞれのまちづくりやイベントのPRが行われました。来年の開催地の発表もあり、第1回に開催した愛知県豊田市足助で再び会う約束をして会を閉じました。

p1010026.JPG

※「かがり火」編集長の菅原氏からも最近のまちづくり事情が報告されました。

前夜祭、大交流会と2日間続けての宴も催され、馬路村のうまいものに酔いしれた(お酒にも随分酔いましたが・・)交流会でした。

p1000921.JPG

※安田川天然レストランでの前夜祭

若松進一さんのブログでも、この全国まちづくり交流会の様子を伝えています。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 松本 宏)

街道灯籠祭り 海街道をゆく

6月9日(土)に愛南町僧都川河口(南レクプール付近)で、「街道灯籠祭り 海街道をゆく」が開催されました(主催:街道灯籠祭り愛南実行委員会)。本来は6月2日(土)に開催されるイベントでしたが、雨による順延の開催でした。

p6090185.JPG

※開催の案内板

本来の日程では、正午過ぎよりボランティア清掃をしてのち、灯籠づくり、灯籠設置、ライトアップという日程でしたが、順延となった9日はボランティア清掃を取りやめということで一部日程を変更しての開催となったようです。

この日のライトアップで使われた灯籠は、竹と和紙をつかったもの。四万十の灯籠は空き瓶、松野町目黒地区のそれは木とダンボール、と各地のライトアップイベントでつかわれる灯籠がすべて異なるというところにオリジナルティーがでていたようでした。

p6090173.JPG p6090170.JPG

※愛南町の灯籠は、竹を斜めに裁断して、それに和紙でくるんで輪ゴムで留め、麻紐で再度留めて、中にロウソクを置くタイプ。この日用意したロウソクは500個ほどとのこと。主催者にうかがうと、7月、8月の灯籠イベントでは和紙は使わないそうです。今回設置した竹は、御荘中学校、内海中学校の生徒さんたちが地元のボランティアの人たちと協力して制作したそうです。

p6090172.JPG

※この日の灯籠作りには、御荘中学校の生徒さん50名ほどがお手伝いとして参加していました。

さて、午後3時からの灯籠制作が終了したあと、「御荘新四国順路図」を生徒さんに配付したのち、新四国めぐりということでマップを手にしながら「新四国めぐり」をして、自分たちの住む町の風景をあじわっていたようです。

p6110219.JPG

※「御荘新四国順路図」。四国には島四国をはじめとして、各地にミニ八十八箇所廻りがあり、「四国はお遍路文化」という代表的な事例とも言えるでしょう。ちなみに、城辺の新四国順路図もあるそうです。

ただ、この日も、夕方になるにつれてだんだんと雲行きが怪しくなってきて途中から雨模様となり、ライトアップの開催も危ぶまれましたが、ライトアップ準備時の午後7時前には雨もあがり、いよいよ灯籠を設置してライトアップ作業を行いました。

p6090184.JPG p6090189.JPG

※雨もあがり、夕やけもでてきて、なんとか開催ができるめども立ち、スタッフの皆さんは灯籠を会場に設置していきました。距離は2メートル間隔で、約700メートルの道に500個弱の灯籠を設置して、ロウソクに明かりを灯していました。

p6090199.JPG p6090211.JPG p6090217.JPG

※午後7時半すぎには、会場に幻想的な風景があらわれ、少しずつ夜の闇に淡い灯籠の光りが広がっていたようです。左が午後7時30分頃の会場、中央が午後7時45分頃の会場、右が午後8時過ぎの会場。

来場した人にお話しをうかがうと、「きれい」という声や、「時間がゆっくり流れるように感じて、癒される」といった声がきかれ、なかなかの好評イベントだったようです。 主催者のみなさん、雨の中たいへんおつかれさまでした。

この愛南町のイベントについてのお問い合わせは、同実行委員会(地域交流センター プラザ城辺内:TEL&FAX 0895-73-2288)まで。また、愛南町ではこの灯籠イベントを7月、8月にも会場を別にして予定しています。お近くの方、興味のある方、癒されたい方、愛南町までお越しになってみては。詳しくはこちらのサイトを参照してください。

なお、この愛南町の「街道灯籠祭り」を実施している同実行委員会は、当センターが実施している「まちづくり活動アシスト事業」の平成19年度助成団体となっています。

(文責 まちづくり活動部門 研究員 谷本英樹)